精選版 日本国語大辞典 「狐崎」の意味・読み・例文・類語 きつねがさき【狐崎】 静岡市葵区柚木(ゆのき)と駿河区曲金(まがりかね)の間の道沿いにある地の俗称。梶原景時が一族とともに戦死した地と伝えられる。清水区大内付近ともいう。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「狐崎」の解説 狐崎きつねがさき 静岡県:静岡市旧有渡郡・庵原郡地区曲金村狐崎現曲金(まがりかね)字狐(きつね)ヶ崎坪(さきつぼ)を遺称地とする中世の地名。正治二年(一二〇〇)一月二〇日、相模国一宮(いちのみや)(現神奈川県寒川町)から西上する梶原景時とその一族は追手と「狐崎」で戦い、景時らはその後山で討死した(吾妻鏡)。ただしこの場合の狐崎を現清水市の清見(きよみ)関近くとする見解もある(静岡県史)。文明八年(一四七六)三月頃、今川義忠の戦死後に堀越公方足利政知の軍と扇谷上杉軍の太田資長(道灌)らは、「狐か崎」と八幡(やはた)山に陣取って対峙したといわれ(今川記)、要衝の地であったことがわかる。戦国期には興津正信の所領で、大永四年(一五二四)九月二〇日の今川氏親朱印状(写、諸家文書纂)では、狐崎の田地が小黒(おぐろ)の田地とともに安堵され、天文三年(一五三四)七月一三日の今川氏輝判物写(同書)では「小黒之内五町」の注記に「此内きつねかさきに壱丁ふす」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報