猪野村(読み)いのむら

日本歴史地名大系 「猪野村」の解説

猪野村
いのむら

[現在地名]勝山市猪野

女神おながみ川低位扇状地の中央北部に位置し、東は平泉寺へいせんじ村、西は北市きたいち村、北は下毛屋しもけや村。「泰澄和尚伝記」には、養老元年(七一七)四月一日「白山麓大野隈(筥カ)川東伊野原」で、泰澄が霊夢をみたと記される。慶長五年(一六〇〇)から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領となった。

猪野村
いのむら

[現在地名]久山町猪野

伊野村とも書く(続風土記)犬鳴いぬなき(五八三・七メートル)南西に位置し、東は鞍手くらて犬鳴谷いぬなきだに(現若宮町)、南は久原くばら村。猪野川上流域を占める。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に将軍家御寄進分として「猪野庄獄田御霊社」とみえ、太宰府天満宮御霊社の御供田であったことがわかる。天正一五年(一五八七)六月二八日の太宰府安楽寺天満宮領坪付(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一七)には石築地坊知行分として「猪野村」一二町がみえる。

猪野村
いのむら

[現在地名]大分市猪野・城東町じようとうまち明野東あけのひがし一―五丁目・明野西あけのにし一―二丁目・明野南あけのみなみ一―三丁目・明野北あけのきた西明野にしあけのなど

乙津おとづ川左岸の丘陵上に位置し、北は小池原こいけばる村。西の下郡しもごおり村から当村に入った日向道(臼杵・府内城路)は南東横尾よこお村に向かう。中世高田たかた庄猪野名の遺称地。江戸時代を通じて臼杵藩領。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳に村名がみえ高三五七石余、森村組。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によると田高一〇二石余・畑高二五四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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