日本歴史地名大系 「久山町」の解説 久山町ひさやままち 福岡県:糟屋郡久山町面積:三七・四三平方キロ糟屋郡の中部に位置し、東は三(み)ッ頭(がしら)山(五五三・二メートル)・犬鳴(いぬなき)山(「いんなき」ともよむ。五八三・七メートル)と続く三郡(さんぐん)山地を境に鞍手(くらて)郡若宮(わかみや)町に接し、西は立花(たちばな)山(三六七・一メートル)・三日月(みかづき)山(二七二メートル)を境に福岡市東区に接する。北は古賀市・新宮(しんぐう)町、南は篠栗(ささぐり)町・粕屋(かすや)町に接する。東西の端に山林が広がり町域の三分の二を占める。わずかな低地を南北に九州自動車道と主要地方道筑紫野(ちくしの)―古賀線が走る。主要地方道福岡―直方(のおがた)線は新犬鳴トンネルで、山陽新幹線は福岡トンネルで犬鳴山系を抜け東西方向を結ぶ。 久山町くやまちよう 岡山県:岡山市岡山城下久山町[現在地名]岡山市舟橋町(ふなばしちよう)外堀外の南方に位置し、旭川に接する。南北の道を挟む両側町で、東は旭川、南は道を隔て上内田(かみうちだ)町、西は油(あぶら)町・紺屋(こんや)町、北は片瀬(かたせ)町と一部外堀に接する。宇喜多氏時代成立と考えられるが、寛永城下絵図に町名の記載はない。慶安城下絵図に久山町とみえる。「吉備温故秘録」は町名由来を、宇喜多秀家の時代美作の郷士久山五郎兵衛を招き、当地に宅地を給して家作させたのによるとする。久山氏はのち西中島(にしなかじま)町へ移転したといい(吉備温故秘録)、屋敷跡を町の会所としていたが、その後会所は西中島町に移り、跡は商家となったという(備陽国誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久山町」の意味・わかりやすい解説 久山〔町〕ひさやま 福岡県北西部,福岡平野北東部から三郡山地の北西斜面に広がる町。福岡市東区に接する。 1956年久原 (ひさはら) ,山田の2村が合体して町制。米作のほか,花卉,ミカンなどの栽培が行われ,スギ材を生産。粕屋炭田に属する炭鉱は 67年までに全部閉山し,産炭地域振興事業により合板,金属,食品などの工場が進出。北西部の立花山麓には特別天然記念物のクスノキ原始林がある。面積 37.44km2。人口 9068(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by