玉井喜作(読み)タマイ キサク

20世紀日本人名事典 「玉井喜作」の解説

玉井 喜作
タマイ キサク

明治期の新聞記者



生年
慶応2年(1866年)

没年
明治39(1906)年9月26日

出生地
周防国熊毛郡光井村(山口県光市)

経歴
始め医学を志して明治17年大学予備門に入るが、のち札幌農学校に招かれドイツ語教師を約3年務めた後、農業に従事した。経済的に行詰まり、24年ロシアのウラジオストックに密入国。26年キャラバンにまぎれて、酷寒のシベリアを横断。28年ドイツ・ベルリンに達し、日刊新聞「ケルニッセツァイツング」記者となる。その後独立し、31年日独貿易の機関紙「Ost=Asien(東亜)」を創刊し、日独貿易に貢献。同年ドイツ語の旅行記を「西比利亜征槎紀行」をベルリンの出版社から発行。ベルリンの私設領事といわれ、訪れる日本人の面倒をみた。邦訳は昭和38年「シベリア隊商紀行」と題して発表された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉井喜作」の解説

玉井喜作 たまい-きさく

1866-1906 明治時代の新聞記者。
慶応2年生まれ。大学予備門にまなび,札幌農学校のドイツ語教師となる。明治24年ウラジオストクにわたり,シベリアを横断,27年ドイツに到着。ベルリンの日刊新聞「ケルニッセツァイツング」の記者となり日本通信を担当。31年独力でドイツ語雑誌「東亜」を刊行した。明治39年9月26日ドイツで死去。41歳。周防(すおう)(山口県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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