20世紀日本人名事典 「玉利親賢」の解説 玉利 親賢タマリ チカカタ 明治期の海軍中将 生年嘉永6年10月3日(1853年) 没年大正5(1916)年8月24日 出生地薩摩国鹿児島郡上竜尾町(鹿児島県) 学歴〔年〕海軍兵学寮卒 経歴明治4年海軍兵学寮に入り、卒業後、士官候補生となり、10年西南戦争に従軍。14年海軍少尉に任官。37年日露戦争には大佐となり公使館付武官としてロンドンに駐在。アルゼンチンがアームストロング社に注文した軍艦がロシアに売り渡されようとしていることを知り独断で購入を決めた。これが後の日進、春日の2艦である。のち少将となり、39年南清艦隊司令官、41年大湊要港部司令官を経て、42年陸軍中将となり、馬公要港部司令官を務めた。44年予備役に編入となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉利親賢」の解説 玉利親賢 たまり-ちかたか 1853-1916 明治時代の軍人。嘉永(かえい)6年10月3日生まれ。玉利喜造の兄。日露戦争のとき公使館付武官としてロンドンに駐在。アルゼンチンがアームストロング社に注文した軍艦がロシアに売りわたされようとしていることを知り,独断で購入をきめた。これがのちの日進,春日の2艦である。明治42年海軍中将。大正5年8月24日死去。64歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。海軍兵学寮卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by