日本歴史地名大系 「玉川寺」の解説 玉川寺ぎよくせんじ 山形県:東田川郡羽黒町国見村玉川寺[現在地名]羽黒町玉川国見(くにみ)集落の東にあり、国見山と号し、曹洞宗。本尊は聖観音。かつては善見山玉泉寺と号したという。国見山玉川寺史(寺蔵)によると、大同年中(八〇六―八一〇)羽黒山荒沢(こうたく)寺聖之(ひじりの)院の真言僧が、当地に常火堂の火を移したのが寺の草創というが、明証を欠く。正保二年(一六四五)に当寺茂道の所望により、羽黒山別当天宥がまとめた玉川寺縁起(寺蔵)では法明を開基とするが、「日本洞上聯燈録」には、高麗人で道元の高弟了然法明が善見(よしみ)村を観音の聖境と感得し、庵をむすび、建長三年(一二五一)玉泉寺を創建したとみえる。 玉川寺ぎよくせんじ 長野県:飯田市柏原村玉川寺[現在地名]飯田市上久堅 上平伊那山脈より流れ出る玉(たま)川のほとりにある。武田氏伊那侵攻の際、神之峰(かんのみね)城落城とともに兵火に遭った。知久十八ヵ寺の一つ。曹洞宗、宝勝山と号す。開基は知久頼為、開山は雪岫瑞秀、文亀年間(一五〇一―〇四)の開創といわれる。玉川寺文書によると慶安年間(一六四八―五二)に現在地に移転したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報