王洪文(読み)おうこうぶん(英語表記)Wang Hong-wen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「王洪文」の意味・わかりやすい解説

王洪文
おうこうぶん / ワンホンウェン
(1932/1935―1992)

中国の政治家。吉林(きつりん/チーリン)省長春(ちょうしゅん/チャンチュン)市出身。1950年朝鮮戦争に中国義勇軍兵士として参戦。1953年上海(シャンハイ)綿紡織第17工場の労働者となる。1966年「文化大革命」では同工場造反派の急先鋒(きゅうせんぽう)となり、1967年上海のいわゆる一月革命を指導、奪権後の上海市革命委員会副主任。1969年第9回中国共産党大会で一躍中央委員、1973年第10回大会後、党副主席に急昇進。毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)をバックに全国労働界、民兵に号令した。毛死去直後の1976年10月「四人組」の一人として逮捕された。1980年11月林彪(りんぴょう/リンピァオ)、江青(こうせい/チヤンチン)反革命集団の一人として起訴され、1981年初め無期懲役の判決を受けた。1992年に病死

[高市恵之助・渋谷 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王洪文」の意味・わかりやすい解説

王洪文
おうこうぶん
Wang Hong-wen

[生]1935. 吉林,長春
[没]1992.8.3. 北京
中国の政治家。 1952年共産党に入党。上海市第 17綿紡織工場の労働者から文化大革命中の 67年上海市労働者革命造反総司令部の責任者となり,また上海市革命委員会副主任として毛沢東擁護の立場で活動。 69年4月の中国共産党九全大会で中央委員となり,70年中国労働者代表団団長としてアルバニア親善訪問し,71年上海市党委員会書記。 73年8月の十全大会で党規約改正について報告を行い,党中央政治局委員,中央政治局常務委員会委員,党副主席に選出された。極左路線を推進するうち,76年 10月,故毛沢東の方針と政策を改竄し歪曲したうえ,党権力の奪取をねらったとの理由で,張春橋,江青,姚文元とともに逮捕され,「四人組」反党集団の一人として 77年7月の 10期三中全会で党籍永久に剥奪され,党内外のすべての職務を解任された。「林彪・江青反革命集団」裁判で 81年1月無期懲役の判決を受けた。

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世界大百科事典(旧版)内の王洪文の言及

【中華人民共和国】より

…前者には毛沢東という切り札があったが,人材に欠けるという弱点があり,後者は逆に実務能力で優位に立ったが,修正主義者のレッテルをはられるとひとたまりもない時代の空気で,両者はともに決定力に欠けた。文革派の中では,毛沢東暗殺のクーデタに失敗してジェット機でソ連への逃亡をはかり,モンゴルで墜死したとされる林彪の失脚(1971年9月13日)以後は,江青,張春橋,姚文元(ようぶんげん),王洪文の上海グループ(のちのいわゆる〈四人組〉)が党中央政治局に根を張った。実務派官僚の代表は一貫して周恩来であった。…

※「王洪文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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