中国、東北中部の省。北は黒竜江(こくりゅうこう/ヘイロンチヤン)省、西は内モンゴル自治区、南西は遼寧(りょうねい/リヤオニン)省と、また南東で北朝鮮、ロシアと接する。古くは粛慎(しゅくしん)以来3000年の歴史をもつ地で、清(しん)末に吉林省が設置された。満州国時代の吉林省は現在よりずっと小さかった。2001年現在、長春(ちょうしゅん/チャンチュン)市、吉林市、四平(しへい/スーピン)市、遼源(りょうげん/リヤオユワン)市、白城(はくじょう/パイチョン)市、通化(つうか/トンホワ)市、白山(はくさん/パイシャン)市、松原(しょうげん/ソンユワン)市、延辺(えんぺん/イエンピエン)朝鮮族自治州からなる。面積18万7400平方キロメートル、人口2627万2571(2000)で、漢族、朝鮮族、満洲族、回族、モンゴル族などで構成される。省都は長春。
地勢は、北朝鮮との国境にある長白(ちょうはく/チャンパイ)山脈(最高峰の白頭(はくとう)山は標高2744メートル)から北西に向かって、標高1000メートル前後の錯雑した地形の東部山地、標高500メートル前後の曲流する河川の多い中部丘陵、標高約200メートルの緩やかな地形の松遼(しょうりょう)平原、標高200メートル以下の西部平原、北西部の大興安嶺(だいこうあんれい/ターシンアンリン)東麓(とうろく)の五つの地域に分かれる。1月の平均気温は零下14~零下20℃と地域差が大きいが、7月は20~23℃とあまり差がない。降水は夏に偏し、年降水量は南東部から北西部にかけて五つの地域が、それぞれ1000ミリメートル、800ミリメートル、600ミリメートル、400ミリメートル、350ミリメートルであり、土地利用に地域差を生じる。東部山地では、カラマツ、チョウセンゴヨウ、シラカバなどの森林資源のほか、貂皮(ちょうひ)、鹿茸(ろくじょう)(シカの袋角。補精強壮剤として珍重される)、薬用ニンジン、ヤマブドウ、キクラゲ、蜂蜜(はちみつ)などを産し、雑穀や水稲が栽培される。中部丘陵では、大豆、テンサイ、葉タバコ、鹿茸を産し、松遼平原では雑穀と水稲、西部平原では雑穀、牧畜、大興安嶺東麓では林産、牧畜が中心である。雑穀とはコウリャン、アワ、春小麦のほか、ジャガイモ、アマ、ヒマワリなどである。牧畜はウマ、ウシ、ヒツジで、川や湖ではコイ、フナ、ナマズを産する。解放前は土壌侵食がひどく、たびたび災害を受けたが、松花湖(豊満ダム)による下流1600平方キロメートルの水害の回避、数か所の電力利用灌排(かんはい)機場による1万平方キロメートルの農地開発、伊通(いつう)河、新開(しんかい)河、飲馬(いんば)河、東遼(とうりょう)河、卡岔(かた)河など河川の水利事業、西部平原における防護林の完成などによって農業が発達した。鉱産物は大栗子(だいりつし)や渾江(こんこう)の鉄、天宝山の金、銅、鉛、亜鉛、モリブデン、各地の油母頁岩(ゆぼけつがん)、石灰石、天然ソーダ、著名な多くの炭田、大慶の油田などがある。これらの鉱産物を使って、長春、吉林、四平などに中国有数の自動車工業、化学工業が発展している。第二松花江、牡丹江(ぼたんこう/ムータンチヤン)、図們江(ともんこう/トゥーメンチヤン)、鴨緑江(おうりょくこう)が流れ、人工湖の松花湖も含めて水運の便が大きい。また京哈(けいこう)、陶楡(とうゆ)、長図(ちょうと)、牡図(ぼと)、瀋吉(しんきつ)、烟白(えんぱく)、四梅(しばい)、梅集(ばいしゅう)、渾湾(こんわん)、鴨大(おうだい)、吉舒(きつじょ)、拉浜(らひん)、長白(ちょうはく)、白阿(はくあ)、平斉(へいさい)、通譲(つうじょう)、大鄭(だいてい)、京通(けいつう)の各鉄道が通じ、省内の総延長は4000キロメートルに達する。その密度は北京(ペキン)周辺に匹敵する。航空路も長春から瀋陽(しんよう/シェンヤン)、ハルビン、北京に運航している。名勝・旧跡としては、通化にある抗日運動の英雄楊靖宇(ようせいう)(1905―40)の陵墓、農安にある八角十三層の遼代の古塔、長春の南湖公園があげられる。
[浅井辰郎]
中国、吉林省中東部の第二松花江(しょうかこう)沿岸にある地級市。別称の吉林烏拉(チーリンウラ)はモンゴル語の「沿江」の意。旧称の船廠(せんしょう)はロシアの侵略に対して1658年清(しん)朝が戦船44隻を建造した造船所に由来する。人口430万8000(2012)。4市轄区と永吉(えいきつ)県を管轄し、舒蘭(じょらん)、蛟河(こうが)、樺甸(かでん)、磐石(ばんせき)の4県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。長図線(長春(ちょうしゅん)―図們(ともん))、吉舒線(吉林―舒蘭)、瀋吉線(瀋陽(しんよう)―吉林)、竜豊線(竜潭山(りゅうたんざん)―大豊満(だいほうまん))の各鉄道が交差し、1895年のロシア汽船遡上(そじょう)に始まる河川交通もある。多くの行政、経済、教育機関のなかには、南方の豊満発電所にかかわる電力学院がある。
近郊の石炭、油母頁岩(ゆぼけつがん)、木材などを用いた化学肥料、染料、カーバイドの三大化学工場やプラスチック、ビニロン、ゴム、鉄鋼、冶金、機械、製紙、陶磁器、ガラスなどの工業が盛んである。また周辺農村の作物を加工する穀粉、大豆油、テンサイ糖、酒造、紡織、製麻工業などの在来工業もあり、とくに関東三宝と称されるニンジン、鹿茸(ろくじょう)、貂皮(ちょうひ)は有名。
名勝・旧跡には、先史住居跡や雨乞(あまご)いで知られる竜鳳寺(りゅうほうじ)のある竜潭山、団子山古城跡、江南公園、市街の眺望がよく朶雲殿(だうんでん)や肱観亭(こうかんてい)のある北山公園、明(みん)の将軍劉清(りゅうせい)が自らの行軍記録を刻んだアシェンハタ磨崖(まがい)などがある。
[浅井辰郎・編集部 2017年7月19日]
中国,吉林省中部の工業都市。人口195万(2000)。第二松花江に沿う。もと吉林烏拉と呼ばれたが,これは満州語で〈川沿いの地〉という意味である。明・清以来東北中部の政治,商業,交通の中心であり,清代初頭にかつてここで造船を行ったことから,船厰(せんしよう)という旧名が生まれたという。清代吉林庁がおかれ,のちに吉林府に昇格した。1913年吉林県に改められ,29年永吉県と改名された。36年県城付近に対して市制を施行した。吉林省が設けられたのは1907年(光緒33)のことだが,それ以来54年まで吉林省の省都であった。吉林はまた第二松花江水系の水上交通と陸上交通の中心でもあり,材木の集散地として発展した。また清朝の封禁(ふうきん)政策が解かれ,漢族による農地開墾が進むとともに大豆やタバコの集散地ともなった。しかし1930年以前は行政と商業の中心ではあったが,工業は製材,綿織物,マッチ,製粉,食料油などの零細工場があるのみで,人口は7万余にすぎなかった。日本の支配下におかれて以後,第二松花江に豊満ダムの建設がはじまり,また人造石油,電気化学,製紙などの工場の建設が計画されたが,敗戦までに豊満ダムの建設は60%の進捗率に終わり,工業化もきわめて不十分であった。
解放後吉林は中国の重点的な工業都市建設対象の一つとなり,豊満ダムの発電能力が拡充強化され,中国最大級の化学工業コンビナートのほか,製紙,鉄合金,製糖などの工場と大型火力発電所が建設された。本市はまた風景の秀麗なことで知られ,北山,竜潭山の両公園がある。周辺は〈関東三宝〉の名で知られる鹿茸(ろくじよう),貂皮(ちようひ)(テンの皮),人参(チョウセンニンジン)の産地として有名で,竜潭山南麓には養鹿場がある。第二松花江には本市の上流部に豊満ダムがつくられているが,その結果出現した人造湖の松花湖も風景区の一つとなっている。
執筆者:河野 通博
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