日本大百科全書(ニッポニカ) 「姚文元」の意味・わかりやすい解説
姚文元
ようぶんげん / ヤオウェンユアン
(1931―2005)
中国の政治家。浙江(せっこう/チョーチヤン)省諸曁(しょき/チューチー)県に生まれる。父は左翼作家連盟のメンバーであった姚蓬子(ようほうし/ヤオポンツー)。上海(シャンハイ)の復旦(ふくたん/フタン)大学卒業後、延安(えんあん/イエンアン)に赴き、1948年中国共産党入党。上海で『文芸報』通信員、上海の新民主主義青年団幹部などになる。1956年ごろから文芸評論で活動、『魯迅(ろじん/ルーシュン)――中国文化革命の巨人』(1959)、『文芸思想論争集』(1964)などの著作を出す。1965年11月、呉晗(ごがん/ウーハン)の作品を批判した論文「新編歴史劇『海瑞罷官(かいずいひかん)』を評す」を上海の『文滙報(ぶんわいほう)』に発表、文化大革命の直接の契機となった。1966年北京(ペキン)で中央文革小組に参加、文革の理論・宣伝面での指導者となり、周揚(しゅうよう/チョウヤン)、陶鋳(とうちゅう/タオチュー)らを批判する論文を発表した。1969年党政治局員となったが、1976年「四人組」の一人として逮捕され、1981年、20年の刑を宣告された。1996年10月釈放。
[安藤彦太郎]
『片山智行訳『魯迅――中国文化革命の巨人』(1975・潮出版社)』