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姚文元 ようぶんげん Yao Wen-yuan

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

姚文元
ようぶんげん
Yao Wen-yuan

[生]1931. 浙江,諸曁
[没]2005.12.23. 上海?
中国共産党中央政治局委員,文芸評論家。左翼作家連盟のメンバーであった姚蓬子の子といわれるが,詳しい経歴は不明。文化大革命以前はジャーナリスト,上海作家協会理事。 1965年 11月文革の口火を切ることになった論文「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表して四人組の一員となった。

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百科事典マイペディアの解説

姚文元【ようぶんげん】

中国の政治家。浙江(せっこう)/(チェーチャン)省出身。1948年に中国共産党に入党。1965年には文化大革命の契機となる論文〈新編歴史劇『海瑞罷官(かいずいひかん)』を評す〉を発表し,1966年から1969年まで中央文化革命小組のメンバー,次いで同年に中央政治局員となって文化大革命を主導した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

姚文元
ようぶんげん / ヤオウェンユアン
(1931―2005)

中国の政治家。浙江(せっこう/チョーチヤン)省諸曁(しょき/チューチー)県に生まれる。父は左翼作家連盟のメンバーであった姚蓬子(ようほうし/ヤオポンツー)。上海(シャンハイ)の復旦(ふくたん/フタン)大学卒業後、延安(えんあん/イエンアン)に赴き、1948年中国共産党入党。上海で『文芸報』通信員、上海の新民主主義青年団幹部などになる。1956年ごろから文芸評論で活動、『魯迅(ろじん/ルーシュン)――中国文化革命の巨人』(1959)、『文芸思想論争集』(1964)などの著作を出す。1965年11月、呉(ごがん/ウーハン)の作品を批判した論文「新編歴史劇『海瑞罷官(かいずいひかん)』を評す」を上海の『文(ぶんわいほう)』に発表、文化大革命の直接の契機となった。1966年北京(ペキン)で中央文革小組に参加、文革の理論・宣伝面での指導者となり、周揚(しゅうよう/チョウヤン)、陶鋳(とうちゅう/タオチュー)らを批判する論文を発表した。1969年党政治局員となったが、1976年「四人組」の一人として逮捕され、1981年、20年の刑を宣告された。1996年10月釈放。[安藤彦太郎]
『片山智行訳『魯迅――中国文化革命の巨人』(1975・潮出版社)』

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世界大百科事典内の姚文元の言及

【呉晗】より

…人民共和国成立後は北京市副市長となり,全国人民代表大会代表,中国民主同盟副主席などの要職につくかたわら,中国史学会理事をも務めた。鄧拓,廖沫沙と共著の《三家村札記》は毛沢東路線を風刺するものといわれ,また歴史劇《海瑞罷官》に対しては,毛沢東の指示で姚文元が批判文を執筆し,それが文化大革命発動の引金となった。【山田 敬三】。…

【中華人民共和国】より

…前者には毛沢東という切り札があったが,人材に欠けるという弱点があり,後者は逆に実務能力で優位に立ったが,修正主義者のレッテルをはられるとひとたまりもない時代の空気で,両者はともに決定力に欠けた。文革派の中では,毛沢東暗殺のクーデタに失敗してジェット機でソ連への逃亡をはかり,モンゴルで墜死したとされる林彪の失脚(1971年9月13日)以後は,江青,張春橋,姚文元(ようぶんげん),王洪文の上海グループ(のちのいわゆる〈四人組〉)が党中央政治局に根を張った。実務派官僚の代表は一貫して周恩来であった。…

【文化大革命】より

…新中国成立後,毛沢東は,みずからの指導する社会主義社会を,階級闘争の終始存在する過渡期社会ととらえる理論に傾斜していったが,60年代中期にいたって,党は〈資本主義の道を歩む実権派〉によって修正主義に変質させられる前夜にあるとの認識に達し,これら〈走資派〉を一掃し,修正主義化を防止する目的をもって,プロレタリア文化大革命(文革)を発動した。
[第1期]
 1965年11月,毛沢東の直接指導下に,姚文元(ようぶんげん)の論文〈《海瑞罷官(かいずいひかん)》を評す〉が発表されたことで,実権派批判が始まり,文革の火がつけられた。しかし,劉少奇(国家主席)ら実権派官僚の押えこみにあって,運動は燃え上がらなかった。…

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