王韜(読み)おうとう

精選版 日本国語大辞典 「王韜」の意味・読み・例文・類語

おう‐とうワウタウ【王韜】

  1. 中国、清代末期の洋務派文筆家。西洋事情に通じ、早くから近代兵器の採用を提唱するなど、科学技術の必要を説き、また変法論先駆ともなった。著「(とうえん)文録」、訳「普法戦記」など。(一八二八‐九七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王韜」の意味・わかりやすい解説

王韜
おうとう
(1828―1897)

中国、清(しん)末の洋務派知識人。江蘇(こうそ)省蘇州府の人。科挙に失敗し、宣教師のもとで働きながら西洋事情を学び、清朝当局者にたびたび建策を行った。太平天国運動に際しては、曽国藩(そうこくはん)に太平軍撃破の策を建言する一方で、黄畹(こうえん)の偽名を使い、太平天国首脳に外国と結んで上海(シャンハイ)を奪取するよう建策した。これが露見したため香港(ホンコン)に避難。1867年イギリスに渡り、経書の英訳に従事。70年香港に帰り、73年から『循環日報』主筆となった。84年上海に戻って格致書院院長となった。79年には日本にきたこともある。西洋の機器を取り入れて富国強兵を図ること、科挙と学制を改革して人材を養成することを主張。表面的な西洋の模倣に終わることなく真の改革を行うべきだと主張して、変法論に一歩近づいている。

[西川喜久子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王韜」の意味・わかりやすい解説

王韜
おうとう
Wang Tao

[生]道光8(1828)
[没]光緒23(1897)
中国,清末の改革派思想家。字は仲とう,号は紫銓。啓蒙家で,洋務論から変法論への橋渡しをした。江蘇省蘇州の出身。上海のイギリス人経営の学校教師となり,西洋事情通となった。太平天国の際には清朝,太平天国の双方に建策したが,太平天国に通じたとされ,ホンコンに亡命した。そこで『循環日報』を発行,西洋事情の紹介,洋務運動批判,商工業保護の主張に努めた。のち上海で格致書院院長となる。普仏戦争に関する『普法戦紀』の訳は日本人にも読まれた。

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