中国、清(しん)末の洋務派知識人。江蘇(こうそ)省蘇州府の人。科挙に失敗し、宣教師のもとで働きながら西洋事情を学び、清朝当局者にたびたび建策を行った。太平天国運動に際しては、曽国藩(そうこくはん)に太平軍撃破の策を建言する一方で、黄畹(こうえん)の偽名を使い、太平天国首脳に外国と結んで上海(シャンハイ)を奪取するよう建策した。これが露見したため香港(ホンコン)に避難。1867年イギリスに渡り、経書の英訳に従事。70年香港に帰り、73年から『循環日報』主筆となった。84年上海に戻って格致書院院長となった。79年には日本にきたこともある。西洋の機器を取り入れて富国強兵を図ること、科挙と学制を改革して人材を養成することを主張。表面的な西洋の模倣に終わることなく真の改革を行うべきだと主張して、変法論に一歩近づいている。
[西川喜久子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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