現代人劇場

デジタル大辞泉プラス 「現代人劇場」の解説

現代人劇場

日本劇団。1968年、演出家蜷川幸雄蟹江敬三石橋蓮司、岡田英次らとともに青俳を脱退し結成。1969年9月、清水邦夫作、蜷川演出による「真情あふるる軽薄さ」で旗揚げし、以後、蜷川の演出によるラジカルな作品を次々と発表。1971年11月解散。蜷川は翌年、新たな劇結社「櫻社」を立ち上げる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の現代人劇場の言及

【劇団】より

…1966年には,東京早稲田の喫茶店2階の小空間をけいこ場兼用の小劇場とする鈴木忠志(ただし)(1939‐ )らの〈早稲田小劇場〉が結成され,佐藤信,串田和美らの〈自由劇場〉(正式名称は〈アンダーグラウンド自由劇場〉)も同年活動を始めた。翌67年には,寺山修司(1935‐83)らが〈天井桟敷(てんじようさじき)〉(正式名称は〈演劇実験室天井桟敷〉)を創設,さらに68年に蜷川幸雄らの〈現代人劇場〉が結成された。自由劇場など3劇団の連絡組織〈演劇センター68/69〉は同じ68年に設置され,70年から同68/70の黒色テント公演が開始された。…

【ロシア・ソビエト演劇】より

…レニングラードでは55年にトフストノーゴフがビシネフスキー作《楽天的悲劇》の演出で演劇界に新風を吹き込んだ。57年にはモスクワにO.N.エフレーモフの率いる現代人劇場Teatr‐studiya“Sovremennik”が創設された。59年劇作家アルブーゾフが,彼の名を世界的に有名にした青春劇《イルクーツク物語》を発表した。…

※「現代人劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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