蜷川幸雄(読み)ニナガワユキオ

デジタル大辞泉 「蜷川幸雄」の意味・読み・例文・類語

にながわ‐ゆきお〔にながはゆきを〕【蜷川幸雄】

[1935~2016]演出家埼玉の生まれ。劇団青俳に俳優として参加した後、昭和44年(1969)に清水邦夫作「真情あふるる軽薄さ」で演出家としてデビュー。昭和49年(1974)公演の「ロミオとジュリエット以後は、大劇場での演出を数多く手がける。また、海外公演においても世界的な評価を得た。代表作に「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」「身毒丸しんとくまる」など。平成22年(2010)文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蜷川幸雄」の意味・わかりやすい解説

蜷川幸雄
にながわゆきお
(1935―2016)

演出家。埼玉県川口市生まれ。開成高校卒。画家志望であったが1955年(昭和30)に劇団青俳の安部公房(こうぼう)作『制服』を見て演劇開眼、同劇団に籍を置いた。はじめは俳優として活躍したが1969年の春に退団、同年秋の現代人劇場の清水邦夫(くにお)作『真情あふるる軽薄さ』で演出家としてデビューした。以後、蜷川と清水の提携が深まり、新宿文化劇場での現代人劇場の夜間公演は、若者層の圧倒的な支持を得た。1972年に清水らと桜社を結成したものの1974年8月に解散、これに先だつ5月に東宝日生劇場公演『ロミオとジュリエット』を演出し、大劇場に進出した。1979年に帝劇で初演された秋元松代(まつよ)作『近松心中物語』が大ヒット、何度も再演されている。1983年にエウリピデスの『王女メディア』をアテネで、1987年に『NINAGAWAマクベス』をロンドンで上演して以来、活動は国際的になった。1993年(平成5)に桐朋(とうほう)学園大学短期大学部(現、桐朋学園芸術短期大学)の教授に就任、2003年おり学長(~2010年)。1998年に埼玉県与野市(現、さいたま市)の「彩(さい)の国さいたま芸術劇場」の、シェイクスピアの全作品を上演するプロジェクトの芸術監督に就任した。2004年文化功労者。

[大笹吉雄]

『蜷川幸雄著『Note 1969―1988』(1989・河出書房新社)』『蜷川幸雄著『千のナイフ、千の目』(1993・紀伊國屋書店)』『蜷川幸雄著『Note 1969―2001』(2002・河出書房新社)』『蜷川幸雄・長谷部浩著『演出術』(2002・紀伊國屋書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蜷川幸雄」の意味・わかりやすい解説

蜷川幸雄
にながわゆきお

[生]1935.10.15. 埼玉,川口
[没]2016.5.12. 東京
演出家。1955年開成高等学校を卒業,劇団青俳に入団し俳優として活動を開始。1968年現代人劇場を創立。1969年9月,清水邦夫作『真情あふるる軽薄さ』で演出家としてデビュー。1972年清水らと演劇集団櫻社を結成。1974年5月,日生劇場の『ロミオとジュリエット』で初めて商業演劇を演出し,劇団内で対立,同 1974年8月櫻社解散。以降大劇場で活躍し,1979年帝国劇場初演の秋元松代作『近松心中物語』の大ヒットを生む。1983年『王女メディア』をギリシアのアテネなどで上演したのをはじめ海外公演も多く,特に 1987年イギリス,ロンドンのナショナル・シアターで上演した『NINAGAWA・マクベス』は評判を呼んだ。1992年エディンバラ大学名誉博士号を授与された。2001年紫綬褒章受章。2002年大英帝国三等勲功章 CBE受章。2004年文化功労者に選ばれた。2010年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜷川幸雄」の解説

蜷川幸雄 にながわ-ゆきお

1935- 昭和後期-平成時代の演出家。
昭和10年10月15日生まれ。劇団青俳の俳優をへて昭和44年現代人劇場を結成し,「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。49年「ロミオとジュリエット」で大劇場に進出,「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」などの斬新な演出が話題となる。平成3年ベルリンでオペラ演出をおこなうなど国際的に活躍。5年桐朋学園短大教授,15年同短大学長。16年文化功労者。17年歌舞伎座公演「NINAGAWA十二夜」の演出で菊池寛賞。18年朝日舞台芸術賞特別大賞,読売演劇大賞・最優秀演出家賞。22年文化勲章。23年「ヘンリー六世」「美しきものの伝説」の演出で読売演劇大賞最優秀演出家賞。埼玉県出身。開成高卒。

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百科事典マイペディア 「蜷川幸雄」の意味・わかりやすい解説

蜷川幸雄【にながわゆきお】

演出家。埼玉県生れ。最初画家を目指したが,1955年劇団青俳で俳優となり,1969年清水邦夫の《心情あふるる軽薄さ》以後,演出家として活動している。1974年《ロミオとジュリエット》から大劇場でも興行,《近松心中物語》(1979年),《NINAGAWAマクベス》(1980年)など話題作を生み出した。国際的な評価も高く,海外公演も多い。2001年紫綬褒章受章,2010年文化勲章受章。
→関連項目朝倉摂

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367日誕生日大事典 「蜷川幸雄」の解説

蜷川 幸雄 (にながわ ゆきお)

生年月日:1935年10月15日
昭和時代;平成時代の演出家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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