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蜷川幸雄 にながわゆきお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蜷川幸雄
にながわゆきお

[生]1935.10.15. 埼玉,川口
[没]2016.5.12. 東京
演出家。1955年開成高等学校を卒業,劇団青俳に入団し俳優として活動を開始。1968年現代人劇場を創立。1969年9月,清水邦夫作『真情あふるる軽薄さ』で演出家としてデビュー。1972年清水らと演劇集団櫻社を結成。1974年5月,日生劇場の『ロミオとジュリエット』で初めて商業演劇を演出し,劇団内で対立,同 1974年8月櫻社解散。以降大劇場で活躍し,1979年帝国劇場初演の秋元松代作『近松心中物語』の大ヒットを生む。1983年『王女メディア』をギリシアアテネなどで上演したのをはじめ海外公演も多く,特に 1987年イギリス,ロンドンのナショナル・シアターで上演した『NINAGAWA・マクベス』は評判を呼んだ。1992年エディンバラ大学名誉博士号を授与された。2001年紫綬褒章受章。2002年大英帝国三等勲功章 CBE受章。2004年文化功労者に選ばれた。2010年文化勲章受章。

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知恵蔵の解説

蜷川幸雄

日本の演出家。1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。挑戦的でダイナミックな演出が持ち味で、アングラ(商業性を無視した前衛的、実験的な芸術)演劇から商業演劇、世界の舞台へと活躍の場を広げる中で、日本の戯曲からギリシャ悲劇、シェークスピアまで幅広いジャンルの作品を手掛けた。シェークスピアを日本人の感性で読み解いた独特の演出は国際的にも高く評価され、「世界のニナガワ」と呼ばれている。第4回菊田一夫演劇賞(1978年度)を始め、読売演劇大賞最優秀演出家賞(96年度ほか)、第70回朝日賞(99年度)、第41回毎日芸術賞(99年度)、英国名誉大英勲章第3位(2002年)など受賞歴は多数。2004年に文化功労者に選ばれ、10年に文化勲章を受章した。妻は女優、キルト作家の真山知子(キルトでは本名の蜷川宏子として活動)で、長女は写真家、映画監督の蜷川実花。
川口市で幼少期を過ごし、東京・開成高校に進学した。卒業後は画家を志し、東京藝大を受験するが失敗した。劇団青俳による安部公房作の舞台「制服」を見たことをきっかけに、1955年、俳優として入団する。映画を見る、撮影現場で監督と接するなどして独学で演出を学び、アングラ演劇が盛んだった68年、青俳の蟹江敬三、石橋蓮司、後に妻となる真山知子らと劇団現代人劇場を結成し、翌69年、清水邦夫作の「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューした。
72年に演劇集団櫻社を結成し、74年に解散。同年に東宝制作の商業演劇「ロミオとジュリエット」を大劇場で上演して成功を収め、商業演劇に活躍の場を広げる。その後は平幹二朗を女形として起用した「王女メディア」(78年)、突然演歌を歌う「こまどり姉妹」が登場する「ハムレット」(同)、舞台に仏壇を据え、設定を安土桃山時代にした「NINAGAWAマクベス」(80年)など、ギリシャ悲劇やシェークスピアを日本人にも分かりやすいように、大胆に視覚化した演出は話題となり、人気を得た。
83年、「王女メディア」でローマやアテネなどを巡演する初の海外公演を行い成功させた。以降、毎年のように海外公演を重ね、高く評価されるようになった。87年に演劇の本場・ロンドンで「NINAGAWAマクベス」と「王女メディア」を上演し、99年には英国の名門劇団、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの「リア王」を演出した。
99年に東京のシアター・コクーン、2006年には公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団が運営する彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督に就任する。さいたま芸術劇場では、同年に55歳以上の演劇集団「さいたまゴールド・シアター」を創設、09年に若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」を始めるなど、才能の発掘にも努めた。また、同劇場ではシェークスピアの全37作品の上演を目指し、15年10月の「ヴェローナの二紳士」で31作目、追悼公演として行われた16年5~6月の「尺には尺を」で32作目まで達成した。
有名、無名を問わず役者への厳しい指導は有名で、「稽古場で灰皿を投げる演出家」としても知られた。また、1975年「唐版 滝の白糸」の沢田研二、2005年「NINAGAWA十二夜」の尾上菊之助や尾上菊五郎、09年「ムサシ」の藤原竜也や小栗旬など、歌舞伎役者、新劇や小劇場の役者、アイドルなどキャリアを問わずに出演者を起用した。
90年代後半から入院や手術を繰り返し、13年に狭心症で心臓バイパス手術を受けた。だが70歳を超えても創作意欲は衰えず、年10作近いペースで仕事を続けた。14年11月に公演先の香港で倒れてからは、酸素吸入チューブを付けて車いすでけいこに臨んだ。
15年12月に体調を崩して入院。リハビリに励むかたわら、病床から演出の指示を出した。16年5月12日、肺炎による多臓器不全のため、80歳で亡くなった。
映画監督も務め、「嗤(わら)う伊右衛門」、「蛇にピアス」などの作品がある。著書も多数で、『千のナイフ、千の目』(紀伊國屋書店)、『演出術』(同)などがある。

(南 文枝 ライター/2016年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル大辞泉の解説

にながわ‐ゆきお〔にながはゆきを〕【蜷川幸雄】

[1935~2016]演出家。埼玉の生まれ。劇団青俳に俳優として参加した後、昭和44年(1969)に清水邦夫作「真情あふるる軽薄さ」で演出家としてデビュー。昭和49年(1974)公演の「ロミオとジュリエット」以後は、大劇場での演出を数多く手がける。また、海外公演においても世界的な評価を得た。代表作に「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」「身毒丸(しんとくまる)」など。平成22年(2010)文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

蜷川幸雄【にながわゆきお】

演出家。埼玉県生れ。最初画家を目指したが,1955年劇団青俳で俳優となり,1969年清水邦夫の《心情あふるる軽薄さ》以後,演出家として活動している。1974年《ロミオとジュリエット》から大劇場でも興行,《近松心中物語》(1979年),《NINAGAWAマクベス》(1980年)など話題作を生み出した。
→関連項目朝倉摂

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蜷川幸雄 にながわ-ゆきお

1935- 昭和後期-平成時代の演出家。
昭和10年10月15日生まれ。劇団青俳の俳優をへて昭和44年現代人劇場を結成し,「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。49年「ロミオとジュリエット」で大劇場に進出,「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」などの斬新な演出が話題となる。平成3年ベルリンでオペラ演出をおこなうなど国際的に活躍。5年桐朋学園短大教授,15年同短大学長。16年文化功労者。17年歌舞伎座公演「NINAGAWA十二夜」の演出で菊池寛賞。18年朝日舞台芸術賞特別大賞,読売演劇大賞・最優秀演出家賞。22年文化勲章。23年「ヘンリー六世」「美しきものの伝説」の演出で読売演劇大賞最優秀演出家賞。埼玉県出身。開成高卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蜷川幸雄
にながわゆきお
(1935―2016)

演出家。埼玉県川口市生まれ。開成高校卒。画家志望であったが1955年(昭和30)に劇団青俳の安部公房(こうぼう)作『制服』を見て演劇に開眼、同劇団に籍を置いた。はじめは俳優として活躍したが1969年の春に退団、同年秋の現代人劇場の清水邦夫(くにお)作『真情あふるる軽薄さ』で演出家としてデビューした。以後、蜷川と清水の提携が深まり、新宿文化劇場での現代人劇場の夜間公演は、若者層の圧倒的な支持を得た。1972年に清水らと桜社を結成したものの1974年8月に解散、これに先だつ5月に東宝の日生劇場公演『ロミオとジュリエット』を演出し、大劇場に進出した。1979年に帝劇で初演された秋元松代(まつよ)作『近松心中物語』が大ヒット、何度も再演されている。1983年にエウリピデスの『王女メディア』をアテネで、1987年に『NINAGAWAマクベス』をロンドンで上演して以来、活動は国際的になった。1993年(平成5)に桐朋(とうほう)学園大学短期大学部(現、桐朋学園芸術短期大学)の教授に就任、2003年おり学長(~2010年)。1998年に埼玉県与野市(現、さいたま市)の「彩(さい)の国さいたま芸術劇場」の、シェイクスピアの全作品を上演するプロジェクトの芸術監督に就任した。2004年文化功労者。[大笹吉雄]
『蜷川幸雄著『Note 1969―1988』(1989・河出書房新社) ▽蜷川幸雄著『千のナイフ、千の目』(1993・紀伊國屋書店) ▽蜷川幸雄著『Note 1969―2001』(2002・河出書房新社) ▽蜷川幸雄・長谷部浩著『演出術』(2002・紀伊國屋書店)』

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