日本歴史地名大系 「瓜生郷」の解説 瓜生郷うりうのごう 三重県:四日市市中部地区智積村瓜生郷鎌倉末期には智積(ちしやく)御厨に含まれる。元応二年(一三二〇)七月一日の藤原公行譲状(「綸旨口宣院宣等写」書陵部蔵)によれば「右この所ハ、冷泉局文永の譲状ニ一期の後ハ、故中将入道ニ譲へきよしねんころにかきのするうへハ、其次第子細あるへからさるニ、早世のあひた其子あくり御前ニ生・もり(森)二郷、三位にハゑひハら(衣比原)二郷、大納言あさり了覚にハこハやし(小林)・にハ(庭)田二かう(郷)、かやうニわけて智(知)行せらるへく候(後略)」とあり冷泉局から一期分として公行へ譲られ、その死後は、弟の故中将入道(左中将公重)に譲ることとなっていたが、早世したためその子「あくり」に譲られたことが知られる。 瓜生郷うりゆうのごう 宮崎県:日向国諸県郡瓜生郷「和名抄」所載の郷で、同書伊勢本・東急本には「生」と記される。また諸本とも日向国内では「野」の字を加えて「瓜生野」の三字で用いるとしている。「日向国史」がいうようにもともと瓜生野であったが、地名二字の制により「野」の字を省いたものであろう。「日本地理志料」は瓜生は瓜田のことで、草木叢生の所を意味するとし、瓜生野(うりゆうの)・大瀬(おおせ)・柏田(かしわだ)・有田(ありた)・池内(いけうち)・南方(みなみかた)・跡江(あとえ)(現宮崎市)の諸村に比定する。「大日本地名辞書」は瓜生野村・大宮(おおみや)村(現宮崎市)に比定し、「日向国史」は瓜生野村とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by