瓜生震(読み)ウリュウ シン

20世紀日本人名事典 「瓜生震」の解説

瓜生 震
ウリュウ シン

明治期の実業家 三菱合資会社副支配人。



生年
嘉永6年6月11日(1853年)

没年
大正9(1920)年7月9日

出生地
越前国(福井県)

旧姓(旧名)
多部

経歴
福井藩士の子に生まれ、長崎蘭学を修め、坂本龍馬海援隊に入って活躍。明治4年工部省鉄道寮に入り、同年岩倉具視ら一行に随って欧米巡遊。8年帰国後再び鉄道寮に入ったが10年官を辞め、三菱経営の高島炭礦会社に入り、長崎事務所支配人、26年三菱合資会社副支配人、32年営業部長を歴任。41年大日本製糖会社監査役となったが、彼の整理案が入れられず退社、再び三菱合資会社に復帰、傍系の麒麟麦酒、東京海上保険、汽車製造、日本興業銀行などの重役を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「瓜生震」の解説

瓜生震

没年:大正9.7.9(1920)
生年:嘉永6.6.11(1853.7.16)
明治大正期の実業家。三菱財閥の経営者。越前国(福井県)の多部五郎左衛門の3男で分家して瓜生を名乗る。長崎へ留学,坂本竜馬の海援隊を助ける。維新後,岩倉遣外使節団に随行して3年間外国に留まり帰国。鉄道寮を経て後藤象二郎の高島炭坑売炭課長,明治14(1881)年4月1日同坑の三菱譲渡後は引き続き高島炭坑長崎事務所支配人,三菱合資本社副支配人,営業部長。41年大日本製糖の整理強化に当たる。高島炭坑時代の克明な『事務日誌』執筆にみられるように語学を生かした渉外で「三菱における唯一の事務家」といわれた。<参考文献>『財界物故傑物伝』上,『高島炭礦史』

(小林正彬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瓜生震」の解説

瓜生震 うりゅう-しん

1853-1920 明治-大正時代の経営者。
嘉永(かえい)6年6月11日生まれ。瓜生寅(はじめ)の弟。長崎で蘭学をまなび,坂本竜馬の海援隊に属する。明治4年工部省鉄道寮にはいり,岩倉使節団にしたがい欧米を視察。のち高島炭鉱長崎支店長,麒麟麦酒,東京海上保険などの役員をつとめた。大正9年7月9日死去。68歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。旧姓は多部。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「瓜生震」の解説

瓜生 震 (うりゅう しん)

生年月日:1853年6月11日
明治時代の実業家
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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