日本大百科全書(ニッポニカ) 「麒麟麦酒」の意味・わかりやすい解説
麒麟麦酒(株)
きりんびーる
日本最大のビール会社。1870年(明治3)アメリカ人コープランド(1834―1902)が横浜居留地にスプリング・バレー・ブリュワリーを設立。1885年同社跡地を買収した日英合弁のジャパン・ブリュワリー設立。1888年キリンビールのブランドで明治屋に販売委託。1907年(明治40)同社事業を継承し、岩崎家を大株主として麒麟麦酒株式会社が設立された。当時、年産7000キロリットル余、シェア19%、明治屋の一手販売であった。1918年(大正7)神崎工場(兵庫県)を新設。関東大震災で横浜の山手工場の壊滅後、1925年横浜・生麦(なまむぎ)に工場を新設。1927年(昭和2)直販体制を採用、翌年清涼飲料に進出した。第二次世界大戦後は1954年(昭和29)ビール業界のトップとなり、各地に工場を増設してシェアを拡大。1972年キリン・シーグラム株式会社(2002年7月よりキリンディスティラリー株式会社)を設立してウイスキーに進出、続いて小岩井乳業株式会社に参画、またトマトジュース、ラガー、一番搾りなど製品の多角化を進めている。2006年(平成18)に策定した経営構想「キリン・グループ・ビジョン2015」のもと、2007年純粋持株会社へ移行。社名をキリンホールディングスに変更し、会社分割により酒類事業を行う麒麟麦酒が発足した。キリンホールディングスの資本金1020億円(2021)、麒麟麦酒の資本金300億円(2021)。
[田付茉莉子]
『麒麟麦酒株式会社五十年史編集委員会編『麒麟麦酒株式会社五十年史』(1957・麒麟麦酒)』▽『麒麟麦酒株式会社編・刊『麒麟麦酒の歴史 戦後編』『麒麟麦酒の歴史 続戦後編』(1969、85)』▽『キリンビール広報部社史編纂室編『キリンビールの歴史 新戦後編』(1999・キリンビール)』