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甘露寺元長 かんろじ

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美術人名辞典の解説

甘露寺元長

室町後期の公卿。本姓藤原。大納言親長の子。左少弁を経て従一位権大納言に至る。平生より笛を好み、また詩歌を能くした。『新撰菟玖波集』に歌を収める他、日記『元長卿記』がある。大永7年(1527)歿、72才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

甘露寺元長 かんろじ-もとなが

1457-1527 室町-戦国時代の公卿(くぎょう),歌人。
長禄(ちょうろく)元年生まれ。甘露寺親長の子。参議などをへて永正(えいしょう)14年(1517)権(ごんの)大納言となり,大永(たいえい)6年従一位にすすんだ。笛をこのみ,詩歌にたくみであった。後土御門(ごつちみかど)天皇,後柏原天皇につかえ,三条西実隆とともに宮中の歌会や連歌会で活躍した。大永7年8月17日死去。71歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の甘露寺元長の言及

【甘露寺家】より

…藤原氏北家,勧修寺(かじゆうじ)の嫡流。家格は名家。贈太政大臣藤原良門の子で贈太政大臣高藤の曾孫権中納言為輔に始まる。為輔がはじめて甘露寺と号したが,その子孫は勧修寺,吉田あるいは坊城を称していた。しかし南北朝時代の藤長が権中納言に補任されたとき,同門の吉田国俊も参議から権中納言に昇進したため,藤長が甘露寺を称して以来,代々これを家号とした。家系をみると,平安時代後期の参議為房は《大記》(《為房卿記》)の,その子参議為隆は《永昌記》の筆者として著名であるが,鎌倉時代に入っても為隆の孫権大納言経房は《吉記(きつき)》を,経房の玄孫権大納言経長は《吉続記》を著している。…

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