生井沢村(読み)なまいさわむら

日本歴史地名大系 「生井沢村」の解説

生井沢村
なまいさわむら

[現在地名]山方町照山てるやま

久慈川の東方に位置し、四方を山に囲まれた盆地の村。西は小貫おぬき村。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「四拾壱石六斗一升 生井沢村」とみえ、元禄郷帳にも「生井沢村」とある。「水府志料」によると村の南北一〇町三〇間・東西九町一六間ほど、戸数およそ一七、水戸まで八里であった。村内に県指定天然記念物の鏡岩がある。俗に月鏡石とよばれ、「新編常陸国誌」に「風土記久慈郡条云河内里東山石鏡、昔在魑魅萃集、翫見鏡則自去〔俗云疾鬼向鏡自滅〕今久慈郡生井沢村鏡山ト云処ニ、月鏡石ト云アリ、面平ニシテ光アリ、殆鏡ノ如シ、近年人取テ以テ翫物トス〔或ハ硯ニ作ル〕コノ村ハ古ノ河内郷ノ内ナレバ、風土記ニ所謂ル石鏡ハ、即コノ月鏡石ナリ」と記される。


生井沢村
なまいさわむら

[現在地名]茨城町生井沢

ともえ川の左岸に位置し、西北下雨しもあま村。文暦二年(一二三五)閏六月一五日付の平(烟田)朝秀宛将軍家政所下文(常陸山口家文書)に「可令早領知常陸国徳宿郷内烟田・冨田・大和田・生江沢、已上四箇村地頭職事」として、生江沢などの地を秀幹の譲状のとおり朝秀が地頭職を支配することを認めている。天福二年(一二三四)の烟田秀幹譲状(烟田文書)にも鹿島郡徳宿とくしゆく郷内として「生江沢」とあり、文禄四年(一五九五)佐竹知行目録(彰考館蔵)には「茨木之内なまい沢」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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