生山城跡(読み)しようやまじようあと

日本歴史地名大系 「生山城跡」の解説

生山城跡
しようやまじようあと

[現在地名]日南町生山

日野川右岸の亀井かめい(四七〇メートル)山頂にあった城。西に日野川、南に石見いわみ川を見下ろす要衝の地に位置し、亀井山城ともいう。「伯耆志」は里人の伝承により、天正年中(一五七三―九二)吉川広家が在城、のち山名和泉守景清(「伯耆民談記」は久志路大和守景清とする)居城となったとするが、伯耆国守護山名氏の嫡流日野山名氏の居城であったと考えられる。永禄二年(一五五九)と推定される冬には山名藤幸が毛利氏に人質を差出しているが(一一月二日「毛利元就書状」閥閲録)、これは尼子氏に通じているのではないかとの疑いを晴らすためと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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