生野宿(読み)いくのじゆく

日本歴史地名大系 「生野宿」の解説

生野宿
いくのじゆく

[現在地名]福知山市字生野

生野は古代山陰道の経路からは外れていたが、京都と奥丹波・丹後を結ぶ主要な交通路に沿っていたことは、「大江山いく野の道の遠ければ」と詠まれた「金葉集」小式部内侍の歌などによってもうかがえる。

古代・中世、この地が宿駅的機能を果していたか否かは不明だが、近世には京街道が通り、正規の駅宿ではないものの、本陣なども置かれ宿として賑った。佐藤信淵の「巡察記」に「当村ハ駅場に非ザレドモ、本陣及ヒ旅宿屋七軒アリ、其ノ他商人多シ」とみえる。なお宿としての生野を知る早い例は、福知山藩日記(島原市猛島神社蔵)の寛文七年(一六六七)一一月一日条で「宮津御横目衆倉橋長右衛門殿・久保平左衛門殿申下刻爰元御通、生野ニ御泊被成候」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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