田中幾之助(読み)タナカ イクノスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田中幾之助」の解説

田中 幾之助
タナカ イクノスケ


職業
能楽師(宝生流シテ方)

生年月日
明治36年 4月19日

出生地
東京

経歴
大正3年に先々代宝生宗家に入門、同8年「金札」で初シテ。昭和32年、重要無形文化財能楽」(総合指定)保持者に。58年3月、優れた演技後進指導など能楽界に尽くした業績に対して芸術院賞が贈られた。

受賞
日本芸術院賞〔昭和58年〕

没年月日
昭和58年 5月14日 (1983年)

家族
長男=田中 明(慶応大学教授)

伝記
随筆 花影 武田 太加志 著(発行元 三月書房 ’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「田中幾之助」の解説

田中 幾之助
タナカ イクノスケ

大正・昭和期の能楽師(宝生流シテ方)



生年
明治36(1903)年4月19日

没年
昭和58(1983)年5月14日

出生地
東京

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和58年〕

経歴
大正3年に先々代宝生宗家に入門、同8年「金札」で初シテ。昭和32年、重要無形文化財「能楽」(総合指定)保持者に。58年3月、優れた演技と後進の指導など能楽界に尽くした業績に対して芸術院賞が贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中幾之助」の解説

田中幾之助 たなか-いくのすけ

1903-1983 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治36年4月19日生まれ。宝生(ほうしょう)流。大正3年16代宝生九郎知栄(ともはる)の内弟子となり,4年初舞台。知栄の死後野口兼資(かねすけ),17代宝生九郎重英(しげふさ)に師事。昭和16年「道成寺」を演じた。58年芸術院賞。重要無形文化財(総合指定)保持者。昭和58年5月14日死去。80歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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