日本芸術院(読み)ニホンゲイジュツイン

デジタル大辞泉 「日本芸術院」の意味・読み・例文・類語

にほん‐げいじゅついん〔‐ゲイジユツヰン〕【日本芸術院】

芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関文化庁の所管。昭和22年(1947)帝国芸術院から現名に改称。第一部美術、第二部文芸、第三部音楽・演劇・舞踊に分かれ、会員は終身で120名以内。毎年、芸術に貢献した者に恩賜賞日本芸術院賞授与する。

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共同通信ニュース用語解説 「日本芸術院」の解説

日本芸術院

優れた芸術家を顕彰するための「栄誉機関」。1919年に創設された帝国美術院前身で、47年に現在の名称になった。会員は非常勤国家公務員となり、文部科学相が任命権を持つ。芸術分野で文科相や文化庁長官に意見を述べる権限があるが、文化庁によるとほとんど実績はない。会員以外の優れた活動を表彰する日本芸術院賞の授与を行っている。

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精選版 日本国語大辞典 「日本芸術院」の意味・読み・例文・類語

にほん‐げいじゅついん‥ゲイジュツヰン【日本芸術院】

  1. 芸術上の功績の特にすぐれている芸術家を優遇するための栄誉機関。大正八年(一九一九)の帝国美術院、昭和一二年(一九三七)の帝国芸術院を経て、同二二年日本芸術院と改称。現在、文化庁の付属機関。第一部(美術・工芸・建築定員五六)、第二部(文芸・評論、定員三七)、第三部(音楽・演劇・舞踊、定員二七)の三部制で、会員は部会の推薦により、文部科学大臣任命の終身制。恩賜賞・日本芸術院賞の授賞を行なう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本芸術院」の意味・わかりやすい解説

日本芸術院
にほんげいじゅついん

芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関で、文部科学省の外局である文化庁が所管する。院長のほか会員100人余(定員は120)で組織され、第一部(美術=定員56)、第二部(文芸=定員37)、第三部(音楽・演劇・舞踊=定員27)に分かれている。会員は終身制で年金が支給され、新会員は部会の推薦によって文部科学大臣が任命する。

 1907年(明治40)に発足した文部省美術展覧会(文展)の美術審査委員会がその母体で、1919年(大正8)新たに帝国美術院を設立、森鴎外(おうがい)を院長に美術家13名を会員に任命した。1937年(昭和12)には帝国芸術院となり、文芸・音楽・演劇の分野に会員を増やし、第二次世界大戦後の1947年(昭和22)に日本芸術院と改称された。その美術部門は1957年まで帝展・文展に引き続き日本美術展覧会(日展)を運営し、官展の主催者として美術界に大きな影響を与えた。1941年から芸術奨励のため功績のあった者に毎年帝国芸術院賞(日本芸術院賞)を贈ることが定められ、1949年以降は、そのもっとも優れた者に日本芸術院恩賜賞が贈られている。東京都台東(たいとう)区上野公園1-30にある。

[永井信一 2021年2月17日]

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百科事典マイペディア 「日本芸術院」の意味・わかりやすい解説

日本芸術院【にほんげいじゅついん】

芸術院と通称。功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関。文部省に付置。1919年創設の帝国美術院(1937年帝国芸術院と改称)を母体にし1947年設置。芸術に関する重要事項を審議し,文部大臣に建議する権限をもつ。美術,文芸,音楽・演劇・舞踊の3部会に分かれる。会員は120人以内で,各部会の推薦に基づき総会の承認を経て文部大臣が任命,終身制で年金を受けることができる。
→関連項目芦原義信上村松篁日本芸術院賞文化庁村上三島山本健吉淀井敏夫

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改訂新版 世界大百科事典 「日本芸術院」の意味・わかりやすい解説

日本芸術院 (にほんげいじゅついん)

文部大臣の管理下にある芸術奨励機関。1947年に帝国芸術院は日本芸術院に改名されたが,49年7月23日,新たに日本芸術院令が制定された。この政令は,院を芸術上の功績が顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関とし,芸術に関する重要事項を審議し,芸術の発達に寄与する活動を行うことを目的とし,文部大臣や文化庁長官に建議することができる,としている。そして毎年,卓越した芸術作品,芸術の進歩に貢献したと認められる者に授与する恩賜賞と日本芸術院賞に関することも重要な事項になった。院長1人,会員120人以内,第1部美術,第2部文芸,第3部音楽・演劇・舞踊の3部で構成される。会員は部会の推薦により文部大臣が任命,いずれかの部に属して終身である。また日展は,49年の第5回展から芸術院と会員の有志が組織する日展運営会との共同主催となり,これが57年の第13回日展まで続いた。
帝国美術院
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本芸術院」の意味・わかりやすい解説

日本芸術院
にほんげいじゅついん

美術,文芸,音楽,演劇などの芸術上の分野において功績顕著な芸術家を優遇顕彰するための栄誉機関で,文化庁特別の機関。 1919年美術審査委員会を解消して設けられた帝国美術院を母体とし創設。 1937年に音楽,文芸,演劇,舞踊の分野を加えて帝国芸術院と改められ,さらに 1947年日本芸術院となった。第1部美術,第2部文芸,第3部音楽・演劇・舞踊の3部よりなり,会員の推薦と総会の承認により文部科学大臣が任命する終身会員 120人で組織される。毎年,芸術作品および芸術の進歩に貢献し顕著な業績ありと認められた者に対し,恩賜賞,日本芸術院賞が授与される。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日本芸術院」の解説

日本芸術院
にほんげいじゅついん

第2次大戦後に設置された芸術家の優遇・栄誉機関。1919年(大正8)創設の帝国美術院の後身として,37年(昭和12)に設置された帝国芸術院が,47年に帝国芸術院官制の一部改正によって改称した。49年には日本芸術院令が制定され,芸術に関する重要事項の審議と文部科学大臣または文化庁長官への建議,芸術の発達に寄与する活動を行うとされる。48年の日展を主催し,49~57年は日展運営会と共催した。現在,第1部美術(日本画・洋画・彫塑・工芸・書・建築),第2部文芸(小説・戯曲・詩歌・評論・翻訳),第3部音楽・演劇・舞踊(能楽・歌舞伎・文楽・洋楽・邦楽・演劇・舞踊)からなり,院長1人,会員120人以内で構成される。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日本芸術院」の解説

日本芸術院
にほんげいじゅついん

芸術上すぐれた功績のある芸術家を優遇するための栄誉機関
1937年帝国芸術院として発足。第二次世界大戦後,'47年日本芸術院と改称。美術・文芸・音楽演劇舞踊の3部門からなり,文部大臣任命の終身会員で構成。年1回,日本芸術院賞・恩賜賞の選考授与を行う。

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世界大百科事典(旧版)内の日本芸術院の言及

【官展】より


[第2次大戦後]
 1946年3月,文部省は第1回日本美術展覧会(日展)を開催して官展を復活させた。47年に帝国芸術院は日本芸術院に改まり,翌48年の第4回日展は芸術院が主催し,従来の4部に書を加えて5科制とした。しかし純然たる官営の展覧会はこの回で終わり,49年から日本芸術院と日展運営会の共同主催となり,58年からは社団法人日展の運営となっている。…

※「日本芸術院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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