田中 文男
タナカ フミオ
明治〜昭和期の耳鼻咽喉科医学者 元・岡山医科大学学長。
- 生年
- 明治16(1883)年5月21日
- 没年
- 昭和38(1963)年10月4日
- 出生地
- 兵庫県
- 学歴〔年〕
- 京都帝国大学医科大学〔明治41年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔大正6年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 岡山市民名誉市民〔昭和36年〕
- 経歴
- 明治43年岡山医学専門学校教授兼岡山県立病院耳鼻咽喉科部長となる。大正4年アメリカのエール大学およびハーバード大学に留学し、6年に帰国。11年岡山医科大教授、12年同大学付属病院長、14年から昭和6年まで同大学学長をつとめ、15年退官。戦後は岡山県教育委員会委員長となった。著書に「鼻咽喉気管食道病学」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田中文男(1) たなか-ふみお
1883-1963 明治-昭和時代の耳鼻咽喉科学者。
明治16年5月21日生まれ。43年岡山医専教授。アメリカ留学ののち大正11年岡山医大教授。14年同大学長となり,付属病院の不燃建築化を実現した。のち岡山県教育委員長。昭和38年10月4日死去。80歳。兵庫県出身。京都帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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