田井ノ庄村(読み)たいのしようむら

日本歴史地名大系 「田井ノ庄村」の解説

田井ノ庄村
たいのしようむら

[現在地名]高取町大字田井庄たいのしよう

吉備きび川南岸に立地。北は兵庫ひようご村。古代・中世には田井庄があり、兵庫庄と一括して田井兵庫庄といわれた。文禄四年(一五九五)検地の村高三一五石、検地奉行石田正澄。領主は宇陀三人衆の一人沢源六(沢源六宛豊臣秀吉朱印状)慶長郷帳には「たいの庄村」とあり、江戸時代は高取藩領。寛永一六年(一六三九)藤井ふじい村が分れ、村高一九四・九石。

地方蔵方寺尾勤録によると、鎮守熊野権現八幡宮春日明神、寺院は浄土宗真観しんかん寺・真宗道場がある。


田井ノ庄村
たいのしようむら

[現在地名]天理市田井之庄たいのしよう

冨堂とみんどう村東の環濠集落。慶長郷帳には「田井庄村」とあり、村高六四五・〇一石で幕府領(代官大久保長安)。元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領となり、同藩時代二割半無地高増政策で村高八〇六・二六三石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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