田代城跡(読み)たしろじようあと

日本歴史地名大系 「田代城跡」の解説

田代城跡
たしろじようあと

[現在地名]田代町麓・川原

川中流右岸、雄川にふもと川が合流する東側の標高二二〇メートルを最高地点とする南東から北西に延びるシラス台地とその周囲を主とする山城勝尾かつお城ともいう。「三国名勝図会」、「薩隅日三州他家古城主来由記」とも鎌倉時代初期に当地へ入った田代兼盛を最初の城主、その子孫田代氏を歴代城主とするが、築城に関しては確認はできない。田代は平安後期から禰寝ねじめ南俣みなみまたのうちとして禰寝氏領だったが(治暦五年一月二九日「藤原頼光所領配分帳案」禰寝文書など)、建治二年(一二七六)までに御家人田代氏が田代の領主として登場し(同年八月日「石築地役配符写」調所氏家譜)、当城はこの頃以降に築かれたと推定される。田代氏は文和三年(一三五四)に島津氏久より恩賞を与えられ(同年七月二四日「島津氏久預ケ状」旧記雑録)、応永四年(一三九七)には島津元久(玄忠)の御内として清敷きよしき(現入来町)攻めに従い(「応永記」同書など)、同一七年三月二一日に元久より田代村を宛行われた(「島津玄忠宛行状」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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