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田代毅軒 たしろ きけん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田代毅軒 たしろ-きけん

1782-1841 江戸時代後期の武士。
天明2年生まれ。肥後(熊本県)人吉藩家老。植林,椎茸(しいたけ)栽培を奨励するなど殖産につとめ,藩財政改革と農村の救済にあたる。椎茸栽培をめぐっておきた農民一揆(いっき)茸山(なばやま)騒動の責任をとり,天保(てんぽう)12年2月10日自害した。60歳。名は政典(まさのり)。字(あざな)は子礼。通称は善右衛門。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田代毅軒

没年:天保12.2.10(1841.4.1)
生年:天明2(1782)
江戸後期の肥後国(熊本県)人吉藩家老。通称善右衛門,字は子礼,小字は原二郎,諱は政典。江戸の細井平洲,久留米樺島石梁に学ぶ。槍術の名手でもあった。用人,勘定奉行,郡奉行を経て,文政4(1821)年に家老職に抜擢され,植林,新田開発,人参・椎茸栽培など殖産興業を推進したが,減知,上米を家中に命じた財政再建策が留守居役相良左仲らの反感を買い,また椎茸栽培は茸山への立ち入りを禁じたため山菜などをとって飢饉をしのごうとしている農民生活を圧迫した。天保12(1841)年左仲は農民を扇動して百姓一揆(茸山騒動)を勃発させ,毅軒は責任をとって永国寺山で切腹した。<参考文献>『人吉市史』

(福田千鶴)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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