田代茂樹(読み)タシロ シゲキ

20世紀日本人名事典 「田代茂樹」の解説

田代 茂樹
タシロ シゲキ

昭和期の実業家 東レ名誉会長;(財)東レ科学振興会会長。



生年
明治23(1890)年12月5日

没年
昭和56(1981)年8月8日

出生地
福岡県北九州市八幡西区楠橋

学歴〔年〕
明治専門学校機械科(現・九州工大)〔大正2年〕卒業

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和35年〕,科学技術庁長官賞〔昭和37年〕,勲二等旭日重光章〔昭和40年〕,勲一等瑞宝章〔昭和48年〕

経歴
三井物産入社。名古屋支店長時代の昭和11年、当時の東洋レーヨン(現・東レ)社長に見込まれて同社取締役に転じ、20年社長に就任、翌年公職追放されたが25年、東レ会長に復帰。この会長時代に米デュポン社からナイロン(26年)、英ICI社からポリエステル合成繊維(30年)の製造技術を導入、有力合繊メーカーとしての今日の東レの地位を築くと共に、わが国の合繊時代を切り開いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田代茂樹」の意味・わかりやすい解説

田代茂樹
たしろしげき
(1890―1981)

実業家。福岡県遠賀(おんが)郡に生まれる。1913年(大正2)明治専門学校(現九州工業大学)機械学科を卒業し、三井物産に入社。機械畑を歩み、ニューヨークロンドンの各支店勤務で国際感覚を身につけた。36年(昭和11)東洋レーヨン(現東レ)取締役に転じ、45年(昭和20)社長に就任した。47年公職追放にあうが、50年に代表権をもつ会長に復帰し、70年まで務めた。会長時代には、アメリカのデュポン社から資本金を上回る10億8000万円でナイロンの技術導入に成功したほか、イギリスのICI社からポリエステル系繊維(テトロン)の技術導入を行うなど、積極的経営で同社の発展をもたらした。

[中村青志]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田代茂樹」の解説

田代茂樹 たしろ-しげき

1890-1981 昭和時代経営者
明治23年12月5日生まれ。三井物産から東洋レーヨン(現東レ)にうつり昭和20年社長となる。公職追放で退任したが25年会長として復帰。ナイロン,ポリエステルの製造技術を欧米から導入し,同社を大きく発展させた。昭和56年8月8日死去。90歳。福岡県出身。明治専門学校(現九州工大)卒。
格言など】現代の企業経営者は,社会全体に対して奉仕することを義務づけられている(経営観)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田代茂樹」の解説

田代 茂樹 (たしろ しげき)

生年月日:1890年12月5日
昭和時代の実業家。東レ会長;(財)東レ科学振興会会長
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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