田住村(読み)たじゆうむら

日本歴史地名大系 「田住村」の解説

田住村
たじゆうむら

[現在地名]岡山市奥田南町おくだみなみまち岡南町こうなんちよう二丁目

二日市ふつかいち村・十日市とおかいち村の西に位置し、西・北は奥内おくうち村、南は富田とみた村。寛永備前国絵図に村名がみえ、高一八九石余。「備陽記」によると田畑一〇町九反余、家数一八・人数八〇。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高三二二石余、蔵入と家臣四名の給地。田高一九九石余・畑高一三石余、家数二一、うち一八戸は上伊福かみいふく村日蓮宗妙林みようりん寺、三戸が七日市なのかいち村真言宗最城さいじよう院の檀家。人数八四、牛六、橋一〇、樋三。産土神は石門別いわとわけ神社。かつては石神(「備陽記」など)・石神社(備陽国誌)・石神(東備郡村志)などと称されたが、寛延元年(一七四八)吉備津彦神社の祠官大守肥後守が岡山藩に式内社再興を出願、同三年に許可された一連の式内社再興運動のなかで「延喜式」神名帳に載る同名社に比定され、現社名に改称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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