田原 法水
タハラ ホウスイ
明治・大正期の僧侶
- 生年
- 天保14年(1843年)
- 没年
- 昭和2(1927)年2月15日
- 出生地
- 豊後国(大分県)
- 経歴
- 明治9年一向宗布教のため、長崎・正林寺住職の身で沖縄に渡る。一向宗は琉球で国禁であったため、布教が露見して、10年門徒300余人が捕えられ、流刑その他の刑に処された。11年上京し、中央政府及び京都本山に働きかけて解禁の許可を得、那覇に仮設教所を設け、のちの真教寺の基礎を築いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田原法水 たはら-ほうすい
1844*-1927 明治-大正時代の僧。
天保(てんぽう)14年12月15日生まれ。長崎県の真宗大谷派正林寺の住職。明治9年真宗禁制令下の琉球にわたり,布教にあたる。約300人の門徒が検挙,処罰された(一向宗法難事件)ため,11年上京して政府にはたらきかけ,布教解禁の許可を得,那覇に説教所(のちの真教寺)を設置した。昭和2年2月15日死去。85歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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