田国富庄
さばたくにとみのしよう
春江町中筋・寄安および福井市旧森田地区に比定される東大寺領の初期荘園。後世、鯖田庄と国富大・小庄が分立した。
天平神護二年(七六六)一〇月二一日付の越前国司解(東南院文書)に
<資料は省略されています>
とあるように、当庄はかつて天平勝宝九年(七五七)坂井郡司品治部公広耳が寄進した田地一〇〇町を基礎としていた。しかしこの田地は零落していたため相替を望んだが、当時の国司恵美薩雄はこれを拒否。右の越前国司解はこの相替を改めて申請しており、天平神護三年二月一一日のものにかかる民部省符(東南院文書)は、同月六日の太政官符を受けてこれを承認した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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