日本歴史地名大系 「寄安村」の解説 寄安村よりやすむら 福井県:福井市旧吉田郡地区寄安村[現在地名]福井市河合寄安(かわいよりやす)町西は栗森(くりもり)村、南は漆原(うるしはら)村に接する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「川合上之郷」に含まれていたと思われる。正保郷帳では田方一三〇石余・畠方一〇石余。福井藩領。安永二年(一七七三)の福井藩金津領村鏡(高橋家文書)によると、田方五町三反余・畑方二反余、家数八・人数一九。農閑余業は莚・草鞋・苧。馬一疋。用水は河合春近(かわいはるちか)用水。神明宮があり、祭礼は二月二〇日・九月一六日とある。 寄安村よりやすむら 福井県:坂井郡春江町寄安村[現在地名]春江町寄安正蓮花(しようれんげ)村の東にあり、同村の枝村。丸岡藩領。村名は元禄郷帳にみえ、高四八三・六五石。天保九年(一八三八)の御領分高免牛馬男女竈改帳(高椋家文書)には正蓮花村と合算で家数五四、人数二二二、馬一とある。当地には黄楊(つげ)の堂があった。帰命尽十方無碍光如来(寄安道場蔵)の奥書によると、親鸞が越後に流罪となった際、洪水にあって寄安郷の後家長者のもとに逗留。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by