田崎 勇三
タザキ ユウゾウ
昭和期の医師 癌研究会付属病院長。
- 生年
- 明治31(1898)年7月5日
- 没年
- 昭和38(1963)年5月24日
- 出生地
- 長崎県波佐木村
- 旧姓(旧名)
- 福田
- 学歴〔年〕
- 東京帝大医学部〔大正13年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士
- 経歴
- がんの臨床を志して昭和8年癌研究会付属病院内科部長、20年副院長、32年同院長。戦災後の同病院の復興に尽力するとともに、がんの研究で脚光を浴び、日本対ガン協会常務理事、日本癌学会会長としてその啓蒙活動を行った。36年がん特効薬といわれたSICを「ハナクソのようなもの」と一笑にふして話題になった。大相撲横綱審議会委員としても活躍。がん学者でありながら歯齦がんに冒され死去した。「死よおごるなかれ」「癌研の院長室で」「癌と長寿」などの名著で、がんの正しい知識を普及させた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田崎勇三 たざき-ゆうぞう
1898-1963 昭和時代の医師。
明治31年7月5日生まれ。昭和8年癌(がん)研究会康楽病院(のちの癌研付属病院)の内科部長,32年院長となる。「がんの早期発見・早期治療」をかかげて検診,治療,啓発活動をおこなう。日本癌学会会長。昭和38年5月24日歯肉がんで没した。64歳。長崎県出身。東京帝大卒。著作に「死よおごるなかれ」「癌と長寿」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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田崎勇三
たざきゆうぞう
[生]1898.7. 長崎
[没]1963.5.24.
内科医。 1924年東京大学医学部卒業。病理学教室に入り,33年癌研究所付属病院設立と同時に同院内科部長となり,57年に病院長となった。癌の臨床医として国際的に活躍するほか,国際ロータリークラブ会員や横綱審議会委員であった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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田崎 勇三 (たざき ゆうぞう)
生年月日:1898年7月5日
昭和時代の医師。癌研究会付属病院長;大相撲横綱審議会委員
1963年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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