田村又吉(読み)たむら・またきち

朝日日本歴史人物事典 「田村又吉」の解説

田村又吉

没年:大正10.10(1921)
生年天保13.1.5(1842.2.14)
明治大正期の地方自治ならびに農事功労者。伊豆国賀茂郡稲取村(静岡県東伊豆町)に生まれる。寺子屋に学び,また農耕のかたわら和漢の書を学んだ。明治20(1887)年稲取村ほか4カ村戸長,同22年からは稲取村村長となる。この間地域の特産天草栽培の振興に努め,その利益で学校,病院,水道などを整備した。同28年には庵原郡杉山村(清水市)の報徳家片平信明と知り合い,ここでの蜜柑栽培を稲取村に導入,伊豆地方の柑橘業の基礎を築いた。また片平との交流のなかで共同救護社を結成,これによって稲取村は明治36年には全国三大模範村のひとつとされている。<参考文献>『静岡県人物誌』,石原驍『伊豆の史伝

(若林淳之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村又吉」の解説

田村又吉 たむら-またきち

1842-1912 明治時代の農村指導者。
天保(てんぽう)13年1月5日生まれ。明治22年静岡県賀茂郡稲取村初代村長となる。28年片平信明(のぶあき)を知り,ミカン栽培を導入,報徳結社稲取村農家共同救護社を結成。またテングサ採取,植林事業,教育医療・水道施設の整備につとめた。大正元年11月14日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android