日本大百科全書(ニッポニカ) 「田植唄」の意味・わかりやすい解説
田植唄
たうえうた
日本民謡分類上の1種目で、今日では本田へイネの苗を移植するおりの仕事唄の総称。田植は、苗代(なわしろ)へ播(ま)いた籾(もみ)が育ち始めて45日ごろに、早乙女(さおとめ)の手によって本田へ移植する作業である。これは稲作のなかでたいせつな作業工程のため、田の神に秋の豊作を願い、豊作祈願の祝い唄を歌ってきた。その方法は、古くは、春がくると歌い始める「春唄」とよばれる春の季節の神の力を褒めたたえるものだったようである。その後、大陸から稲作技術とともに渡来したと思われる太鼓を打ってにぎやかに囃(はや)すことで田の神に祈願する「囃田(はやしだ)」「太鼓田」などとよばれるものが、西日本から東日本へと普及、日本列島を縦断した形になった。このときの田の神の「サ」に唄を捧(ささ)げる先達ともいうべき役が「サンバイ」である。ところがこのサンバイはしだいに専業化し、収入を得るようになると、稲作技術の向上も手伝って、単に田の神へ捧げる役以外に、早乙女たちを飽きさせずに働かせる技量も要求され始め、しだいに信仰以外の娯楽性を加味するようになった。そして江戸時代後期からと思われるが、早乙女たちへの娯楽性を中心とした「田植唄」が独立し始め、むしろそのほうに興味が集まり、節回しの美しい「田の草取り唄」や「盆踊り唄」や流行唄(はやりうた)を転用し始め、「田植唄」の性格は祝い唄から仕事唄へとその内容をかえていった。
[竹内 勉]