田母野秀顕(読み)タモノ ヒデアキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田母野秀顕」の解説

田母野 秀顕
タモノ ヒデアキ


旧名・旧姓
旧姓=赤松

生年月日
嘉永2年(1849年)

出生地
陸奥国三春(福島県)

経歴
三春藩士の子に生れるが、幼くして父を失い、修験者田母野浄因に養われる。戊辰戦争の際、河野広中らと三春藩の恭順を説き、会津討伐の官軍に協力。のち河野らと共に自由民権運動に加わり、明治11年三師社設立、自由党福島部の結成、「福島自由新聞」の創刊に尽力し、東北地方に民権論をおこした。国会開設運動、自由党結成などに活躍したが、15年福島事件に連座し、翌16年軽禁獄6年の刑を受け、石川島に幽閉され、獄死した。

没年月日
明治16年11月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田母野秀顕」の解説

田母野秀顕 たもの-ひであき

1849-1883 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)2年生まれ。明治11年幼なじみの河野広中らと民権結社三師社を設立。14年自由党に参加,翌年「福島自由新聞」の発行にたずさわる。福島事件で逮捕され明治16年11月29日獄死した。35歳。陸奥(むつ)田村郡(福島県)出身本姓は赤松。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「田母野秀顕」の解説

田母野秀顕

没年:明治16.11.29(1883)
生年:嘉永2(1849)
明治期の自由民権家。三春藩(福島県)藩士赤松蔀の子,田母野浄因の養子。河野広中らと共に三師社を結成し福島県の民権運動を主導した。明治15(1882)年無名館盟約を結び内乱罪に問われ,翌年石川島監獄で病死した。<参考文献>高橋哲夫『福島人物の歴史11・12/河野広中』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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