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福島事件 ふくしまじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福島事件
ふくしまじけん

1882年に起きた福島県令三島通庸による,同地の自由党農民への弾圧事件。同年初め県令に着任した三島通庸は,会津若松から新潟,栃木,山形3県に通ずる三方道路開設に県会の議決を無視して着手。これに対して自由党員河野広中を議長とする福島県会は県令提出の全議案を否決して対抗したが,三島は6月に夫役につかない者から代夫賃を強制徴収する高圧的な態度に出た。これに激怒した会津地方の農民は7月に会津自由党員で豪農宇田成一,中島友人らの指導のもとに反対運動を開始し,8月には工事中止の訴訟を起したが却下され,訴訟運動の指導者が逮捕された。宇田らの逮捕後,11月 28日農民数千名が喜多方警察署周辺で釈放要求を行なったが,警察側は抜刀警官による弾圧でこれにこたえ (喜多方事件) ,翌 29日から同盟指導部,自由党員,農民などを次々と逮捕し,逮捕者は約 2000名にも及んだ。河野ら自由党幹部は国事犯として高等法院の裁判に付され,83年9月,河野に軽禁獄7年,ほか5名に軽禁獄6年の有罪判決が言い渡された。

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デジタル大辞泉の解説

ふくしま‐じけん【福島事件】

明治15年(1882)福島県の自由党員や農民が弾圧された事件。県会議長河野広中ら自由党員が、県令三島通庸(みしまみちつね)の県会無視の施政に反対して対抗。会津の農民が道路建設の夫役に反対して警官と衝突した際、河野らも検挙され、国事犯に問われた。

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百科事典マイペディアの解説

福島事件【ふくしまじけん】

1882年県令三島通庸による福島自由党員・農民の弾圧事件。民権運動弾圧を期して着任した薩摩閥の三島は,会津三方(さんぽう)道路開設を農民に強制,自由党河野広中を議長とし,民権派が過半数を占める福島県会はこれに反対して5月に全議案を否決。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふくしまじけん【福島事件】

自由民権運動に対する最初の大弾圧事件。1882年,福島県令三島通庸と同地の自由党員・農民との対立が激化した結果おこった。東日本でもっとも早く政治結社が結成された福島県下では,明治10年代にはいると自由民権運動が大きな高揚をみせ,自由党(1881年10月結成)の拠点の一つとなった。当時,福島県会には議長河野広中以下27人の自由党員議員がおり,これに立憲改進党員を含めると,民権派が過半数を占めていた。82年2月,自由党撲滅を豪語して着任した薩摩閥の県令三島は,県官吏を自己の腹心でかため,また旧会津藩士族を士族授産金を通じて集めて,帝政党の結成を準備した。

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大辞林 第三版の解説

ふくしまじけん【福島事件】

1882年(明治15)自由民権運動の一大拠点であった福島県に発生した自由党弾圧事件。県会を無視して県令三島通庸みちつねが推進する土木工事などの政策に対し、県会議長河野広中を中心に自由党員・農民が反対運動を展開したが、徹底的に弾圧され、河野ら幹部は国事犯の罪に問われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福島事件
ふくしまじけん

1882年(明治15)、福島県の自由党員と同党員の指導を受けた会津(あいづ)地方住民の自治・権利回復運動が、県令三島通庸(みしまみちつね)により大弾圧された事件。福島県は早くから自由民権運動が起こった所で、81年10月自由党が結成されると、まもなく福島、会津にそれぞれ支部がつくられ党組織の確立と党勢拡張が図られた。このような状況下の82年2月県令として赴任した三島は自由党撲滅を豪語し、県会を軽視・無視して専断的な政治を強行した。河野広中(こうのひろなか)を議長とし民権派が多数を占める県会は、県令の専横・圧政に憤激して同年5月県令提出の議案を総否決、県令に対抗した(議案毎号否決事件)。一方、この間三島は、会津若松を起点に山形、栃木、新潟に通ずる大道路(いわゆる三方道路)建設工事を計画・着手し、82年6月には路線の査定、代夫賃の徴収(これより先、15歳以上60歳以下の会津地方の住民男女は2か年間毎月1日の夫役が課せられ、服役負担を怠ると1日男子15銭、女子10銭の代夫賃納入が決められていた)を公達した。
 この県令の独断的施策に広範な住民の反対運動が興起、会津自由党員はその先頭にたち、7月会津6郡の臨時連合会開催を要求、8月には県令、郡長らの告訴を決め、さらに9月に入ると「権利回復規約書」を作成して反対同盟の組織を強化しつつ、工事の中止と服役不服の訴訟運動を推し進めた。そして11月には、運動を継続・強化するための「特別内規約」まで定めた。しかし、このような自由党員・住民の動向に比例して官憲の弾圧も過酷さを増し、官憲の援助のもとに結成された帝政党員による暴行、夫役の強制と代夫賃の徴収、財産差押えと公売処分の強行、指導者の逮捕などが相次いだ。
 そのため1882年11月28日、激高した数千に及ぶ住民が現在の喜多方(きたかた)市郊外の弾正(だんじょう)が原に集合、県令の暴政を糾弾したのち喜多方署に押し寄せ、宇田成一(うだせいいち)ら運動のリーダーで捕縛されている者の釈放を要求した。しかし、抜刀警官に退散を余儀なくされたうえ、「兇徒聚衆(きょうとしゅうしゅう)罪」の罪名で反対同盟関係者が多数検挙された(喜多方事件)。またこの事件を口実に河野ら県下の自由党員も一斉に捕らえられ、翌年2月指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯として高等法院へ送られた。予審の結果大半は免訴となったが、河野以下福島自由党の領袖(りょうしゅう)6名が政府転覆の計画をしたとされ軽禁獄に処せられた。
 福島事件は、広範な農民激化の最初の形態であったこと、自由党派豪農層と一般耕作民の指導=同盟関係が成立したこと、地方自治・地域開発をめぐる官民の二つの対抗関係として運動が展開したことなどの点で、自由民権運動史のなかでもとくに大きな歴史的意義をもつ事件とされている。[安在邦夫]
『『福島県史 第11巻』(1964・福島県)』

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世界大百科事典内の福島事件の言及

【加波山事件】より

…自由民権運動の激化事件の一つ。1882年11月の福島事件以来,関東諸県の自由党員の間には,狂暴化する政府の弾圧にテロリズムで対抗しようとする傾向が強まった。福島事件に連座した河野広躰,三浦文治ら福島の自由党員は,83年4月釈放されると,福島県令三島通庸(同年10月より栃木県令兼任)の暗殺を計画してその身辺をねらった。…

【自由民権】より

…以後自由民権運動は,政党結成(自由党,立憲改進党),勢力拡張(地方遊説や府県会議員組織),国会準備などの過程に入るが,政府の強圧によって活動の範囲をせばめられ,またその離間策動によって内部対立を深め,運動の勢力は伸びなやんだ。政府による弾圧の典型的な事例は82年の福島事件であるが,県会を拠点として県令と対決していた民権派の,一部激派が政府転覆を志向し,一部が地方農民の負担軽減運動に立ったという点で,民権運動激化の典型的な事例でもある。弾圧に憤激した激派は84年群馬事件加波山事件などを起こし,蜂起,挙兵,政府高官暗殺などの直接行動によって政府転覆を企てるに至った。…

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