日本歴史地名大系 「田面村」の解説 田面村たづらむら 香川県:大川郡大川町田面村[現在地名]大川町田面富田東(とみだひがし)村の南に位置し、東の田面峠を越えると大内(おおち)郡中山(なかやま)村(現大内町)、南は笠(かさ)ヶ峰(五五九・七メートル)を中心とする山々で五名(ごみよう)村(現白鳥町)に接する。津田(つだ)川上流部にあたり、同川支流の本村(ほんむら)川・逆(さかさま)川などが村内を流れるが、水量に乏しく灌漑は主として溜池による。南海道の松本(まつもと)駅を当村に比定する説があり、また「南海流浪記」仁治四年(一二四三)二月一一日条の「大寺を立て、大坂をして、讃岐あいの中の山なる大津賀ニイタル、路間九里余」とある大津賀(おおつか)を田面とする説(大川町史)がある。天正一一年(一五八三)長宗我部元親が田面に進出、豊田(とよだ)神社境内に本陣を置いて雨滝(あめたき)城を攻略した(雨滝合戦記)。寛永国絵図の富田郷一五村のうち、田面・破石(われいし)が当村に含まれる。村高は寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では二八五石余、文政四年(一八二一)の村方石高(大川町史)では四七五石余。 田面村たのもむら 千葉県:君津市旧望陀郡地区田面村[現在地名]君津市大戸見(おおとみ)網場(あんば)村の西、小櫃(おびつ)川右岸に立地。南へ下ると関(せき)村から同川越えに谷向(たにむかい)村方向に通ずる道と合流する。寛文四年(一六六四)の土屋利直領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、久留里藩領。以降の領主の変遷は向郷(むかいごう)村に同じ。元禄郷帳では高三七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by