由良戸
ゆらのと
古代の南海道は加太と淡路島由良を海路で結んでおり、両所には各々駅家も設けられていた(「延喜式」兵部省)。高野山金剛峯寺と高野山大伝法院との争いに巻込まれて讃岐に流された僧道範の「南海流浪記」によると、道範は建長元年(一二四九)八月、淡路から紀州に渡っているが、一五日条に「立
由羅渡戸
海路三里」と記している。また謡曲「絃上」に「(須磨の浦から)南を遥に眺むれば、雲に続ける紀の路の小島、由良の戸渡る早舟も、汐追風の吹上や」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 