畔藤村(読み)くろふじむら

日本歴史地名大系 「畔藤村」の解説

畔藤村
くろふじむら

[現在地名]白鷹町畔藤

広野ひろの村の東、最上川右岸に位置し、支流おもい川に沿う町下まちした杉沢すぎざわ小山沢おやまざわ耳堂みみどう松岡まつおかなどの集落がある。思川・耳堂川両扇頂から順次開発が進んでいったと思われる。黒藤とも記した。大永三年(一五二三)一二月一五日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「黒藤郷」とみえ、郷内の「細こへ在家」が一宇残らず松岡土佐守に安堵された。同月二九日同じく稙宗は「道明在家一宇不残、年貢四貫文之所」を松岡房に安堵している(「伊達稙宗安堵状案」伊達家文書)。天文七年(一五三八)の段銭古帳には「三十貫百文 くろふし」とある。同一三年一月一五日、伊達晴宗は「黒藤郷内(亘カ)理分五間在家」を内馬場但馬に与えている(伊達正統世次考)

天正一二年(一五八四)の下長井段銭帳によれば、黒藤おとな中が本段銭三〇貫一〇〇文の三分の一から亘理殿分五間、松岡分二間、「番匠外記、同助さへもんとうかん」分二間などを引いた五貫四四九文、桑島与一郎が七一〇文、松岡与三左衛門が「にし原在家」「花とう在家仁間」の段銭八二九文を上納している。なお天文二二年の晴宗公采地下賜録に黒藤・畔藤はみえないが、「くろ沢」郷内の「わたりふん五けん、松をかきの守ふん、けとう在家、ミや在け、松をか将監ふん、きしの在け」を除いて残らず桑島三郎左衛門に与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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