日本歴史地名大系 「畔藤村」の解説
畔藤村
くろふじむら
天正一二年(一五八四)の下長井段銭帳によれば、黒藤おとな中が本段銭三〇貫一〇〇文の三分の一から亘理殿分五間、松岡分二間、「番匠外記、同助さへもんとうかん」分二間などを引いた五貫四四九文、桑島与一郎が七一〇文、松岡与三左衛門が「にし原在家」「花とう在家仁間」の段銭八二九文を上納している。なお天文二二年の晴宗公采地下賜録に黒藤・畔藤はみえないが、「くろ沢」郷内の「わたりふん五けん、松をかきの守ふん、けとう在家、ミや在け、松をか将監ふん、きしの在け」を除いて残らず桑島三郎左衛門に与えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報