畝傍橿原宮(読み)ウネビノカシハラノミヤ

デジタル大辞泉 「畝傍橿原宮」の意味・読み・例文・類語

うねびのかしはら‐の‐みや【畝傍橿原宮】

橿原市にあったとされる神武天皇即位の皇居。現在の橿原神宮は、その皇居跡と推定される地に建てられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「畝傍橿原宮」の意味・わかりやすい解説

畝傍橿原宮
うねびかしはらのみや

神武(じんむ)天皇の宮室。奈良県橿原市久米町・畝傍町。『日本書紀』によると、天皇は東征、大和(やまと)平定後、畝傍山南東の橿原の地に宮をつくり、辛酉(しんゆう)年(紀元前660年にあたる)正月朔日(さくじつ)に即位したという。『古事記』に「畝火之白檮原(うねびのかしはら)宮」とある。畝傍山付近にカシハラの地名は残存しないが、地元の建議をいれて、1888年(明治21)畝傍山南東麓(ろく)を宮跡に決定し、翌年その伝承地に橿原神宮を創建した。1938~41年(昭和13~16)の神苑(しんえん)工事の際、発掘調査を行い、巨大なイチイガシの樹根を発見した。

八木 充]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「畝傍橿原宮」の解説

畝傍橿原宮
うねびのかしはらのみや

記紀にみえる神武天皇の宮。宮名は白橿原野であったことに由来するか。「古事記」では畝火之白檮原宮。「日本書紀」は畝傍山東南の橿原に宮を造営したと伝えることから,現在の奈良県橿原市久米町に比定される。橿原神宮は,神武天皇陵および宮跡の調査考証にもとづき,1889年(明治22)に宮比定地に創祀されたもの。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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