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神武天皇 じんむてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

神武天皇
じんむてんのう

第1代に数えられる天皇。名はカンヤマトイワレヒコノミコト,神武は諡号。「記紀」によればニニギノミコトの曾孫,ウガヤフキアエズノミコトの子,母は妃タマヨリヒメノミコト。日向を出発して瀬戸内海を東進し,難波に上陸したが,ナガスネヒコの軍に妨げられ,迂回して吉野を経て大和に攻め入り,ついに大和一帯を平定,前 660年大和畝傍橿原宮に都し,元旦に即位し,ヒメタタライスズヒメノミコトを立てて皇后とし,127歳で没したと伝えられる。これは『日本書紀』の紀年法の誤りからきたもので,考古学的にみれば原始社会の段階における大和の一土豪として喧伝されてきた話を,こんな形で描いたものであろうといわれ,その東征説話も大和朝廷の発展期における皇室の淵源を悠遠のかなたにおき,九州と大和との連係の必然性をうたおうとしたものであろうといわれる。また崇神天皇こそ第1代天皇で,神武天皇はその投影であるとする説もある。陵墓は奈良県橿原市の畝傍山東北陵。

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百科事典マイペディアの解説

神武天皇【じんむてんのう】

日本書紀》での建国の天皇。和風諡号(しごう)は神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)天皇。天孫瓊瓊杵(ににぎ)尊の曾孫とされ,日向(ひゅうが)から東征して大和(やまと)に入り,橿原(かしはら)宮を営んで即位したというが,もとより史実ではない。
→関連項目磐余忍坂橿原宮紀元節久米歌美々津

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

神武天皇 じんむてんのう

記・紀系譜による第1代天皇。
父は鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)。母は玉依(たまより)姫。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,九州の日向(ひゅうが)高千穂の峰に天くだった瓊瓊杵(ににぎの)尊の3代の孫で,45歳のとき東征して大和を平定し,橿原(かしはらの)宮で即位,この年を天皇元年とした。神武天皇76年3月11日死去。127歳。墓所は畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)(奈良県橿原市)。諱(いみな)は彦火火出見(ひこほほでみ)。別名に神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)。

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世界大百科事典 第2版の解説

じんむてんのう【神武天皇】

古事記》《日本書紀》に伝えられ初代の天皇とされる。高天原(たかまがはら)より天津神(あまつかみ)の子として地上に降臨した瓊瓊杵(ににぎ)尊の曾孫とされる。神武という名は8世紀後半の命名による漢風諡号(しごう)で,記紀には,(1)若御毛沼(わかみけぬ)命,(2)神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ)命,(3)始馭天下之天皇(はつくにしらししすめらみこと)ほか多くの名が記されている。(1)は穀霊的性格を示す幼名にあたり,(2)は神聖な大和の国のいわれ(由緒)を負うている男,(3)は初めて天下を治定した天皇の意である。

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大辞林 第三版の解説

じんむてんのう【神武天皇】

記紀所伝の第一代天皇、神日本磐余彦天皇かんやまといわれびこのすめらみことの漢風諡号しごう。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことの第四皇子。九州日向ひむかから東進して大和地方を平定、紀元前660年(皇紀元年)、大和の橿原宮で即位したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神武天皇
じんむてんのう

記紀に第1代と伝える天皇。神武という名は8世紀後半に贈られた中国風の諡号(しごう)である。『日本書紀』によれば、国風諡号は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)。高天原(たかまがはら)から南九州の日向(ひゅうが)に降(くだ)った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫(そうそん)で、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の第4子、母は海神の女(むすめ)玉依姫(たまよりひめ)。45歳のとき、船軍を率いて日向を出発し、瀬戸内海を東へ進み、難波(なにわ)に上陸して大和(やまと)に向かおうとしたが、土地の豪族長髄彦(ながすねひこ)の軍に妨げられ(東征)、方向を変え、紀伊半島を迂回(うかい)して熊野から大和に入り、土豪たちを征服し、ついに長髄彦を倒して、日向出発以来、6年目(『古事記』では16年以上かかる)で大和平定に成功し、辛酉(かのととり)の年元旦(がんたん)、畝火(うねび)(橿原(かしはら)市の地)の橿原宮で初代の天皇の位につき、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と讃(たた)えられた(大和平定)。そして媛蹈五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)(『記』では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ))を皇后とし、在位76年、127歳(『記』では137歳)で没して畝傍(うねび)山東北陵に葬られたという。
 記紀における神武天皇は、神の代から人の代への接点に位置する神話的な人物であり、即位の辛酉の年(紀元前660年)は中国の讖緯(しんい)思想によってつくられ、事績には神話的な色彩が濃く、史実を伝えるものはほとんどないといわれる。しかし、神武天皇の物語の核心をなす東征の部分には、皇室の遠い祖先が西方からきたという記憶が反映しているとみる説もある。[星野良作]
『植村清二著『神武天皇』(1957・至文堂) ▽門脇禎二著『神武天皇』(三一新書) ▽原島礼二著『神武天皇の誕生』(1975・新人物往来社) ▽星野良作著『研究史 神武天皇』(1980・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の神武天皇の言及

【海幸・山幸】より

…なおこの後トヨタマヒメがこの国を訪れ,海辺で子を生む。これが鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で,神武天皇はその子である。一方ウミサチは隼人(はやと)族の祖となった。…

【金鵄勲章】より

…清国との戦争に備えて,鎮台組織から新師団編成への改変,陸海軍における軍備拡張など,いわゆる対内的軍隊から対外的軍隊への具体的移行がすすめられた時期にとられた政策の一つ。神武天皇東征の際,天皇の弓にとまった金色のトビ(鵄)が長髄彦(ながすねひこ)の軍卒を眩惑・圧倒したという故事にちなんで制定され,軍人の名誉心をそそろうとするものであった。功一級から功七級に至る。…

【事代主神】より

…記紀神話においては大国主(おおくにぬし)神の子として国譲りの誓約を行い,その後は大和の宇奈提(うなで)に〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉として祭られた(《出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)》)。また,この神が八尋(やひろ)ワニとなって三嶋溝樴(みぞくい)姫と結婚し神武天皇の后となる姫を生んだという三輪山(みわやま)型説話(三輪山伝説)も伝えられている(《日本書紀》)。コトシロヌシは本来は祈年祭の祝詞にいう大和六県の一つ,高市県(たけちのあがた)で祭られていた飛鳥地方の土着の国津神(くにつかみ)であった。…

【高倉下】より

…記紀の神武天皇条にあらわれる人物。神武天皇東征の際,熊野において化熊が出現し,天皇の軍を惑乱させてしまう。…

【武甕槌神】より

…その姿は,石や岩,山や水などの自然物に象徴される国津神(くにつかみ)を威嚇するのに十分であり,剣は悪霊ざわめく葦原中国を平定する武力と権威の象徴でありえた。したがってタケミカヅチの剣は熊野で難渋していた東征中の神武天皇に降(くだ)し与えられることにもなる。この剣を〈フツノミタマ〉という。…

※「神武天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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