出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)命をまつる。社地は畝傍(うねび)山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり,翌年明治天皇は旧京都御所内の1855年(安政2)建立の春興殿(内侍所)と神嘉殿を下賜,それぞれ本殿,拝殿(1931年より神楽殿)として建設にあたり,1890年,皇紀2550年を記念して3月20日宮号宣下があり,4月2日官幣大社橿原神宮として鎮座になる。境内約50万m2は1940年,皇紀2600年記念事業として勤労奉仕により整備されたもので,三つの参道入口の鳥居はいずれも1940年の建設。境内森林遊苑の樹木も当時全国より奉献されたもの。例祭2月11日は紀元祭と呼ばれ,勅使参向のうえ,大祭執行。ほかに4月3日の神武天皇祭(春季大祭),10月3日の秋季大祭があるが,前者は奈良・大阪方面で古くより〈神武さん〉と称し親しまれた祭りで,各種の神賑行事で終日にぎわう。境内の文華殿は,天理市柳本町にあった旧柳本織田藩主の表向御殿を移転したもので,江戸期武将邸宅の遺構を示す重要文化財。
執筆者:鎌田 純一
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奈良県橿原市久米(くめ)町に鎮座。神武(じんむ)天皇、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后を祀(まつ)る。社地は神武天皇の皇居橿原宮跡。1888年(明治21)畝傍山(うねびやま)の南東の宮跡の考証がなされ、翌年5月に民間より神社創建の請願が政府に出され許可となり、明治天皇は旧京都御所の賢所(かしこどころ)、神嘉殿(しんかでん)を献進、翌1890年に社殿造営なって4月2日に鎮座、官幣大社とされた。神武天皇は日向(ひゅうが)三代の後を受けて大和(やまと)(奈良県)に入り、三輪山(みわやま)に坐(ま)す大物主神(おおものぬしのかみ)の娘媛蹈鞴五十鈴媛命を妃(きさき)として、当地で即位したと伝えられる。本殿は1855年(安政2)建造の旧京都御所賢所で、同時に献進の神嘉殿は現在神楽殿(かぐらでん)として使用される。境内は1940年(昭和15)の皇紀2600年記念事業として国民の勤労奉仕で拡張整備され、約54万平方メートルに及ぶ。例祭2月11日。ほかに4月3日の春季大祭は神武天皇祭で、一般に「神武さん」とよばれて各種の神賑(かんにぎわい)行事が行われる。秋季大祭は10月3日。
[鎌田純一]
奈良県橿原市久米町に鎮座。旧官幣大社。祭神は神武天皇・姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)命。社地は橿原宮跡と伝えられ,幕末以降の尊王運動のなかで神社建立を請願。1889年(明治22)京都御所の温明(うんめい)殿(賢所(かしこどころ))を本殿,神嘉殿を拝殿として移築。翌年宮号宣下をうけて官幣大社橿原神宮となり,鎮座祭が行われた。紀元二千六百年記念として1938年(昭和13)から第2次整備拡張事業を行い,全国からの勤労奉仕により境内域を拡張し,施設を整備。拝殿は神楽(かぐら)殿として移築され,本殿とともに重文。例祭は2月11日。
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