橿原神宮(読み)かしはらじんぐう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

橿原神宮
かしはらじんぐう

奈良県橿原市久米町に鎮座。元官幣大社。祭神は神武天皇とヒメタタライスズヒメノミコト。 1890年,神武天皇即位,崩御の地とされる畝傍山南東の地に京都御所内の温明殿神嘉殿を移し,本殿,拝殿とし創建された。例祭2月 11日。

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百科事典マイペディアの解説

橿原神宮【かしはらじんぐう】

奈良県橿原市久米町に鎮座。旧官幣大社。神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后をまつる。1890年に皇紀2550年として橿原宮の跡という地に創建。例祭は2月11日。
→関連項目橿原[市]耳成山

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デジタル大辞泉プラスの解説

橿原神宮

奈良県橿原市、畝傍山の東南麓にある神社。祭神は神武天皇・(媛蹈鞴五十鈴姫命|ひめたたらいすずひめのみこと)。1890年、神武天皇の皇居・橿原宮跡とされる地に創建。本殿は国の重要文化財。地元では「神武さん」とも呼ばれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

かしはらじんぐう【橿原神宮】

奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)命をまつる。社地は畝傍(うねび)山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688‐1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり,翌年明治天皇は旧京都御所内の1855年(安政2)建立の春興殿(内侍所)と神嘉殿を下賜,それぞれ本殿,拝殿(1931年より神楽殿)として建設にあたり,1890年,皇紀2550年を記念して3月20日宮号宣下があり,4月2日官幣大社橿原神宮として鎮座になる。

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大辞林 第三版の解説

かしはらじんぐう【橿原神宮】

橿原市久米町畝傍うねび山麓にある神社。祭神は、神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛ひめたたらいすずひめ皇后。1889年(明治22)創建。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

橿原神宮
かしはらじんぐう

奈良県橿原市久米(くめ)町に鎮座。神武(じんむ)天皇、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后を祀(まつ)る。社地は神武天皇の皇居橿原宮跡。1888年(明治21)畝傍山(うねびやま)の南東の宮跡の考証がなされ、翌年5月に民間より神社創建の請願が政府に出され許可となり、明治天皇は旧京都御所の賢所(かしこどころ)、神嘉殿(しんかでん)を献進、翌1890年に社殿造営なって4月2日に鎮座、官幣大社とされた。神武天皇は日向(ひゅうが)三代の後を受けて大和(やまと)(奈良県)に入り、三輪山(みわやま)に坐(ま)す大物主神(おおものぬしのかみ)の娘媛蹈鞴五十鈴媛命を妃(きさき)として、当地で即位したと伝えられる。本殿は1855年(安政2)建造の旧京都御所賢所で、同時に献進の神嘉殿は現在神楽殿(かぐらでん)として使用される。境内は1940年(昭和15)の皇紀2600年記念事業として国民の勤労奉仕で拡張整備され、約54万平方メートルに及ぶ。例祭2月11日。ほかに4月3日の春季大祭は神武天皇祭で、一般に「神武さん」とよばれて各種の神賑(かんにぎわい)行事が行われる。秋季大祭は10月3日。[鎌田純一]

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