白杉村(読み)しらすぎむら

日本歴史地名大系 「白杉村」の解説

白杉村
しらすぎむら

[現在地名]舞鶴市字白杉

舞鶴湾西岸で最も北にあり、山脚に位置する平地の乏しい村である。集落は海に面している。

応仁の乱で戦乱が地方に波及した際、若狭丹後の国人が争い、敗れた丹後の武士の一部が海沿いに逃れてこの地に住み着いたという(土井家永代記録)

慶長検地郷村帳に高四四・〇三石「白杉村」とみえる。土目録でもほぼ同高で、内訳は田方三一石余、畑方一二石余。同書に記す小物成のうちに竈役米六石六斗があるが、これは田辺藩領内で最高の数値である(最低は万願寺村の二斗九合)耕地・高が少ないにもかかわらず、竈役米が多いのは、白杉村の農民が湾口を横切って舞鶴湾東岸の千歳ちとせ村・佐波賀さばが村・大丹生おおにう村などへ出作していたためか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android