百木村(読み)ももきむら

日本歴史地名大系 「百木村」の解説

百木村
ももきむら

[現在地名]柿崎町百木

柿崎川左岸に位置し、北西落合おちあい村、北は対岸下小野しもおの村。天正六年(一五七八)六月九日の山浦国清書状(歴代古案)に「桃木」「もゝき」とみえ、同日付の同催促状(同書)によれば、同年の御館の乱で上野九兵衛が上杉景虎方の篠宮出羽守を破り猿毛さるげ城を乗取った功を賞し、約定どおり当地を諸役免除のうえ給与するとしている。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「山田喜五郎分上野内善分鵜野分桃木村 上」とみえ、本納八七石四斗一升・縄高二六三石三斗一升一合、家一軒・二三人とある。正保国絵図に高三三六石余とある。天和三年(一六八三)検地帳(国立史料館蔵)によれば、田方は高三八五石余、うち上田一一町七反余・中田一二町三反余・下田二町三反余・下々田五反余。


百木村
ももぎむら

[現在地名]大分市上判田かみはんだ 百木・実原さねわら

本宮ほんぐう山南麓にあり、北東安田やすだ村、北西は地吉じよし村。正保郷帳に村名がみえ田高一一一石余・畑高八〇石余、清田きよた郷に所属。元禄一一年(一六九八)の御代官所郷帳(臼杵藩政史料)では高一三七石余、幕末までほぼ同高。


百木村
ももきむら

[現在地名]竹田市九重野くじゆうの

くち川上流にあり、東は小川おがわ村、南西二俣ふたまた村。正保郷帳では九重野郷に属し、田方五三石余・畑方六九石余で、茅山有と注記される。弘化物成帳では九重野組のうち、村位は下、免六ツ一分、田四三石余(三町余)・畑五二石余(一二町余)・屋敷三石余(三反余)で、開田四斗余(二反余)・開畑三石余(七町四反余)がある。


百木村
ももぎむら

[現在地名]荻町木下きのした

滝水たきみず川の南、馬渡まわたり川の北に位置する渓谷と標高六〇〇メートル前後の台地上にある。正保郷帳では藤原ふじばる郷に属し、畑方のみで高二七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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