百武三郎(読み)ひゃくたけ さぶろう

共同通信ニュース用語解説 「百武三郎」の解説

百武三郎

百武三郎ひゃくたけ・さぶろう 1872年生まれ、佐賀県出身の海軍軍人日露戦争で艦隊参謀を務め、オーストリア大使館付武官、戦艦榛名艦長、佐世保鎮守府司令長官などを歴任し、1928年、海軍大将となった。36年11月から44年8月まで侍従長を務め、昭和天皇信頼を得た。63年死去。日記の存在は、宮内庁書陵部の編さんで2014年に公開された「昭和天皇実録」に一部が引用されたことから明らかになった。日記、手帳類25冊が19年、遺族から東大法学部近代日本法政史料センターに寄託され、21年9月に一般閲覧が可能になった。

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関連語 学歴

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「百武三郎」の解説

百武 三郎
ヒャクタケ サブロウ


肩書
侍従長,枢密顧問官

生年月日
明治5年4月28日

出生地
佐賀県

学歴
海兵〔明治25年〕卒 海大〔明治33年〕卒

経歴
佐賀藩士の家に生まれる。ドイツで3年間軍政を学んだあと、第3艦隊参謀長、佐世保鎮守府司令長官を歴任。大正15年軍事参議官、昭和3年海軍大将となってまもなく予備役に編入され、その後11年2.26事件で襲撃された鈴木貫太郎の後をうけ侍従長に就任。19年8月まで昭和天皇側近として在職した。同年9月枢密顧問官。

没年月日
昭和38年10月30日

家族
弟=百武 源吾(海軍大将) 百武 晴吉(陸軍中将)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「百武三郎」の解説

百武 三郎
ヒャクタケ サブロウ

明治〜昭和期の海軍大将 侍従長;枢密顧問官。



生年
明治5年4月28日(1872年)

没年
昭和38(1963)年10月30日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
海兵〔明治25年〕卒,海大〔明治33年〕卒

経歴
佐賀藩士の家に生まれる。ドイツで3年間軍政を学んだあと、第3艦隊参謀長、佐世保鎮守府司令長官を歴任。大正15年軍事参議官、昭和3年海軍大将となってまもなく予備役に編入され、その後11年2.26事件で襲撃された鈴木貫太郎の後をうけ侍従長に就任。19年8月まで昭和天皇側近として在職した。同年9月枢密顧問官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「百武三郎」の解説

百武三郎 ひゃくたけ-さぶろう

1872-1963 明治-昭和時代前期の軍人
明治5年4月28日生まれ。百武源吾の兄。日露戦争では第三艦隊参謀。明治38年からドイツ,オーストリアに駐在。のち第二艦隊参謀長,佐世保鎮守府司令長官などをつとめる。昭和3年海軍大将。11年から19年まで侍従長。昭和38年10月30日死去。91歳。佐賀県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「百武三郎」の解説

百武 三郎 (ひゃくたけ さぶろう)

生年月日:1872年4月28日
明治時代-昭和時代の海軍軍人。大将
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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