百済教法(読み)くだらのきょうほう

朝日日本歴史人物事典 「百済教法」の解説

百済教法

没年承和7(840)
生年:生年不詳
平安前期,桓武天皇女御。百済王氏出身。河内国(大阪府)交野郡の百済王氏は桓武天皇と関係が深く,教法のほか明信,教仁,貞香らの同族女性が後宮に入ったが,女御になったのは教法だけである。女御は嬪に代わって桓武天皇のときから現れる。延暦24(805)年に相模国大住郡の田2町を与えられ,弘仁2(811)年には山城国乙訓郡の畠1町を与えられた。承和7(840)年死去,時に従四位下であった。<参考文献>古代学協会編『桓武朝の諸問題』

(菅原征子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「百済教法」の解説

百済教法 くだらの-きょうほう

?-840 奈良-平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の女御。
百済俊哲の娘。延暦(えんりゃく)24年相模(さがみ)(神奈川県)大住郡の田約2haを,弘仁(こうにん)2年山城(京都府)乙訓(おとくに)郡の畑約1haをあたえられた。承和(じょうわ)7年11月29日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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