朝日日本歴史人物事典 「百済教法」の解説
百済教法
生年:生年不詳
平安前期,桓武天皇の女御。百済王氏出身。河内国(大阪府)交野郡の百済王氏は桓武天皇と関係が深く,教法のほかに明信,教仁,貞香らの同族女性が後宮に入ったが,女御になったのは教法だけである。女御は嬪に代わって桓武天皇のときから現れる。延暦24(805)年に相模国大住郡の田2町を与えられ,弘仁2(811)年には山城国乙訓郡の畠1町を与えられた。承和7(840)年死去,時に従四位下であった。<参考文献>古代学協会編『桓武朝の諸問題』
(菅原征子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報