コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

百済教法 くだらの きょうほう

2件 の用語解説(百済教法の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

百済教法 くだらの-きょうほう

?-840 奈良-平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の女御。
百済俊哲の娘。延暦(えんりゃく)24年相模(さがみ)(神奈川県)大住郡の田約2haを,弘仁(こうにん)2年山城(京都府)乙訓(おとくに)郡の畑約1haをあたえられた。承和(じょうわ)7年11月29日死去。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

百済教法

没年:承和7(840)
生年:生年不詳
平安前期,桓武天皇の女御。百済王氏出身。河内国(大阪府)交野郡の百済王氏は桓武天皇と関係が深く,教法のほかに明信,教仁,貞香らの同族女性が後宮に入ったが,女御になったのは教法だけである。女御は嬪に代わって桓武天皇のときから現れる。延暦24(805)年に相模国大住郡の田2町を与えられ,弘仁2(811)年には山城国乙訓郡の畠1町を与えられた。承和7(840)年死去,時に従四位下であった。<参考文献>古代学協会編『桓武朝の諸問題』

(菅原征子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百済教法の関連キーワード日本後紀王氏王氏(1)王氏(2)紀乙魚百済王百済貴命百済教仁百済慶命百済貞香

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone