皆木村(読み)みなぎむら

日本歴史地名大系 「皆木村」の解説

皆木村
みなぎむら

[現在地名]波賀町皆木

引原ひきはら川の左岸に位置し、南は上野うえの村。中世には三方西みかたのさいに含まれていた。「蔭涼軒日録」延徳四年(一四九二)四月一六日条に「中村氏・皆木氏・大河原兄弟三人也、中村知行分号波賀、皆木者中村三郎事也」、同書明応二年(一四九三)五月二三日条には「中村・皆木・大河原者兄弟三人之流也、皆木者号中村、大河原者不号中村」とある。ここにみえる皆木は地名ではないが、三方西の地頭は武蔵丹党の中村氏で、室町時代には三家に分れており、皆木を拠点とする中村氏は中村三郎を通称としていた。宝徳二年(一四五〇)一〇月二八日の一宮鳥居立時馬入用注文(伊和神社文書)に「皆木方」、寛正二年(一四六一)一一月一五日の遷宮祝引馬注文(同文書)に「中村中務方跡、但皆木分」、山名氏が播磨守護の時代の年月日未詳の柱立棟上祝言馬注文(同文書)に「勘解由分皆木方跡」とみえる。


皆木村
みなぎむら

[現在地名]奈義町皆木

小坂おさか村の南、馬桑まぐわ川沿いに立地。正保・天保両郷帳では梶並西谷かじなみにしだに村の内。「東作誌」によれば元和九年(一六二三)同村より分村した西谷下にしだにしも村がさらに寛永七年(一六三〇)皆木村とこうぞ村に分村したという。元亀三年(一五七二)八月二六日の某基則宛行状(美作古簡集)で「皆木分本役壱貫百五拾文」が水島重之丞に与えられている。

寛政四年(一七九二)美作国中領地分に皆木村とある。「東作誌」によると高二二四石余、荒などを引いた残高一九八石余、戸数四八、男一一四・女八九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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