朝日日本歴史人物事典 「皇円」の解説
皇円
平安後期の天台宗の僧。一説に嘉応1年6月13日(1169.7.9)死去。関白藤原道兼の後胤で,豊前守重兼の子。肥後阿闍梨という。椙生流の皇覚に師事し,比叡山東塔の功徳院に住む。顕密二教に通じた学僧で弟子に法然がいる。弥勒菩薩の来臨を待つため,蛇の身となって遠江国笠原庄(静岡県小笠郡)の桜池に住んだと伝えられる。歴史書『扶桑略記』の編者としても知られるが,同書は大江匡房ら複数の手になるもので,皇円はその抄本を作ったにすぎないと主張する説もある。甥の隆寛は法然の弟子となった。<参考文献>堀越光信「『扶桑略記』皇円撰述説に関する疑問」(『国書逸文研究』14号)
(岡野浩二)
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