皇道会(読み)こうどうかい

改訂新版 世界大百科事典 「皇道会」の意味・わかりやすい解説

皇道会 (こうどうかい)

満州事変後の,軍部の政治的進出という情勢のなかで,在郷軍人平野力三らの日本農民組合(日農)とによって結成された団体。大恐慌下での国民生活の窮迫,〈思想の悪化〉に危機感を抱いた在京の在郷軍人の一部は,1933年1月,大衆的政治運動に乗り出そうとして,ファッショ的方向に転換していた日農と提携した。同年4月,既成政党打破,〈資本主義機構の改革〉等を目ざして正式に結成された。当初は,軍と農民運動とが結びついた〈兵農一致〉の運動として一般の注目をひいたが,資金難に加えて,軍事費の膨張と農民生活の窮迫が進んだ結果,在郷軍人系幹部と日農系の意見の相違が深まり,1935,36年を境に会勢は不振の一途をたどった。太平洋戦争下の42年4月,皇道会山梨支部が結社不許可処分になったことをきっかけに,5月16日解散した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皇道会」の意味・わかりやすい解説

皇道会
こうどうかい

1933年(昭和8)4月5日、陸海軍の在郷軍人が平野力三(りきぞう)らの日本農民組合と提携して結成した国家主義団体。初代副総裁(総裁保留)は陸軍中将等々力森蔵(とどりきもりぞう)。綱領として、皇道政治の徹底、既成政党の打破、国家統制経済の実現、国防の完備、国際正義の貫徹などを掲げ、機関紙『皇道新聞』を発刊したり、各地で演説会などを開催して皇道主義の宣伝に努めた。衆議院議員選挙では平野だけが当選したにとどまったが、地方議会には100名以上に上る議員を送っていた。全国に支部を設け、会員数も最盛時には1万名を超えた。しかし、資金問題やイデオロギー問題で軍人派と日農派の対立が絶えず、42年5月16日解散した。

[安部博純]

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