日本歴史地名大系 「皿垣開」の解説 皿垣開さらかきびらき 福岡県:山門郡大和町皿垣開[現在地名]大和町皿垣開江島(えしま)開・南野(みなみの)開の南、矢部(やべ)川と支流塩塚(しおつか)川に挟まれた平野部の中央に位置し、東は中島(なかしま)村など。慶長本土居の外側に位置し、皿垣村の干拓地として有明海に向かって魚鱗状に開かれた地域の総称。江島開の南に開かれた干拓地のうち、由布(ゆう)開は柳川藩家老由布市之丞によって開かれた。地元では由布殿開(ユードンビラキ)とよばれている。その南にある田尻(たじり)開は給人田尻惣馬によって開かれた干拓地である(柳川地方干拓誌)。西光(さいこう)寺(現柳川市)の過去帳には寛文一三年(一六七三)六月二二日、「妙月田尻開娘つる」が没したとある。その南の甲木(かつき)開は柳川城下の豪商甲木仁左衛門によって開発された。この三ヵ所と宇土(うと)開を含めた四ヵ所の開は寛文一三年までに完成していたと考えられ、四開の南端に築かれた堤防を上土居(かみどい)という。地元では出潟(でがた)とよんでいる。上土居の外側(海岸側)には藩の許可を受けて四家老と一用人がそれぞれ開いた干拓地がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by