国指定史跡ガイド 「益田氏城館跡」の解説
ますだしじょうかんあと【益田氏城館跡】
島根県益田市三宅町・東町ほかにある城館跡。益田市は中世の石見(いわみ)国で最大の武士団益田氏の本拠地で、益田氏関連の文化財が数多く残っている。益田氏城館跡は、益田川沿いの三宅御土居(おどい)跡と七尾城跡からなる。発掘調査によると、三宅御土居跡は東西に高さ約5mの土塁があり、幅10m、深さ2~3mの堀で囲まれた広大な館跡で、堀内の敷地は東西約190m、南北約110m、東側が北に突出した長靴形である。繰り返し建て替えられており、13世紀の木組み井戸跡、16世紀の礎石建物跡、石積み井戸跡、鍛冶場跡などが発掘された。12~16世紀の陶磁器が出土し、三宅御土居の前身の施設の存在がうかがえる。七尾城跡は、三宅御土居跡の南東約900m、益田川左岸の標高約118mの丘陵上に築かれた山城である。大小40あまりの平らな区画、畝状(うねじょう)空堀、土塁、礎石建物跡、井戸跡などが発掘された。また、13~16世紀の陶磁器や中国製の青磁・白磁器などが大量に出土したことから、益田氏が毛利氏の攻撃に備えて三宅御土居を離れ七尾城に居住していたことが確認された。中世武士団本拠地の城館跡は中国地方の歴史を考えるうえで重要で、2004年(平成16)に国の史跡に指定された。JR山陰本線ほか益田駅から石見交通バス「本町」下車、徒歩約5分。